1.「訪載天山道士不遇
2.「峨眉山月歌
3.「江行寄遠

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●載天山の道士を訪ねて遇わず

犬は吠(ほ)ゆ 水声(すいせい)の中(うち)

桃花(とうか)は露を帯びて濃(こま)やかなり

樹(き)は深くして 時に鹿を見(み)

渓(たに)は午(ご)にして 鐘(かね)を聞かず

野竹(やちく)は青靄(せいあい)を分け

飛泉(ひせん)は碧峰(へきほう)に挂(か)かる

人の去(ゆ)く所を知る無し

愁(うれ)えて倚(よ)る 両三松(りょうさんしょう)

李白詩


717年開元5年17歳載天山に隠れる。
718年開元6年18歳    1.「訪載天山道士不遇
719年開元7年19歳・李白 豪放で恬淡な生活。任侠徒に加わり殺傷させる。
720年開元8年20歳蘇?に認められる。
721年開元9年21歳成都、峨眉山に遊ぶ。
722年開元10年22歳2 岷山に隠れる。
723年開元11年23歳貢挙の有道科に推薦されるが、断る
725年開元12年25歳 ・中国の表舞台に立って活躍したいと、蜀を発。江陵、洞庭湖など巡る。2.「峨眉山月歌
              3.「江行寄遠



■ 李白の父親の身分・職業については何もわかっていない。一般的に、李白の家は異民族の出で、西域から蜀に移り住んできたということになっています。本当いい民族なのか身分的な問題のある出自なのかわかるものは残っていないようです。
 しかし、李白には兄と弟がいましたが、李白だけが教育を受けてけてます。教育を受けることは、当時は、官吏を目指すことです。そのため、十八歳のころ郷里の載天山大明寺に下宿して読書に励んでいます。
 詩は載天山に道士を訪ねていって会えなかったときのものです。十六、七歳で本格的に学問をはじめたころの作品。

李白 1
■訪載天山道士不遇   
犬吠水声中、桃花帯露濃。
樹深時見鹿、渓午不聞鐘。
野竹分青靄、飛泉挂碧峰。
無人知所去、愁倚両三松。

谷川の流れる音にまじって犬の吠え声、
    桃の花びらは露に濡れて鮮やかである
木立は深くときおり鹿の姿がみえ
    谷間には真昼の鐘の音も聞こえない
青い靄が竹林のまわりにたなびき
    緑の山に滝が飛沫(しぶき)をあげている
尋ねる道士は何処へ行ったか知る人もなく
    途方に暮れている傍らに生えている松二三本

 「訪ねて行って会えず」というのはこの頃の詩の主流です。李白は、六朝時代から流れる詩の流れを実に見事に詠いあげています。李白の詩人として、抜群の感覚を有していた天才でしょう。

 谷川のせせらぎの音を聞きながら寺に向かっていたら、犬の鳴き声が出迎えてくれる。そして、桃の花びら露で湿っていて色が鮮やかにみえる。鬱蒼とした樹木の中に鹿の姿を見た。谷あいの午後は鐘の音もなく静かである。竹の林には薄く広がった靄が漂う、滝のしぶきが緑の山々にかかっている。
こんな静けさの中で尋ねる道士様はどちらにいらっしゃるのか、誰に聞いてもわからない。こんな景色をただぼんやりと眺めているとすぐ両側近くに二三本の松があるのに気がついた。

 隠者を訪ねて隠者居ず、世俗の煩わしさを逃れて隠遁する隠者を、修行する道士に置き換えて、あたりの静けさを詠います。滝のしぶきが山々に飛び散っている表現は、李白の得意とする表現になっていきます。
 それにしても、こまやかな観察と少年のころの李白の淳朴な姿が写し出されていて、初期の作品のなかで佳作といえるものでしょう。

■訪載天山道士不遇   
犬吠水声中、桃花帯露濃。
樹深時見鹿、渓午不聞鐘。
野竹分青靄、飛泉挂碧峰。
無人知所去、愁倚両三松。

●載天山の道士を訪ねて遇わず
犬は吠(ほ)ゆ  水声(すいせい)の中(うち)
桃花(とうか)は露を帯びて濃(こま)やかなり
樹(き)は深くして  時に鹿を見(み)
渓(たに)は午(ご)にして  鐘(かね)を聞かず
野竹(やちく)は青靄(せいあい)を分け
飛泉(ひせん)は碧峰(へきほう)に挂(か)かる
人の去(ゆ)く所を知る無し
愁(うれ)えて倚(よ)る  両三松(りょうさんしょう)





 李白は一定の学問を終え、山を降ります。地元の知識人や道士と交わり、蜀地方を見聞します。
李白が二十歳になったとき、都で礼部尚書(正三品)をしていた蘇廷(そてい)が左遷され、成都にあった益州大都督府の長史(次官)になって赴任する際李白と遭遇します。蘇廷は李白の才能を認めるも部下として採用はしませんでした。
 二十三歳、広漢(四川省梓橦県)の太守(刺史)が李白を貢挙の有道科に推薦しましたが、李白は断ります。李白は詩文の才能を認められて官に就くかなければ出世はないと知っていました。開元十二年(724)の秋、二十四歳の李白が蜀を離れて江南に向かったのも、もっと広い世界に出て自分の才能を示し、官途につく機会を得ようとしたのです。

李白 2  「峨眉山月歌」

■  峨眉山月歌         

峨眉山月半輪秋、


影入平羌江水流。


夜発清渓向三峡、


思君不見下渝州。 


峨眉山にかかる秋の半輪の月
  月のひかりは平羌江に映ってきらきらと流れゆく
夜中に清渓を船出して三峡にむかう
   この美しい月をもっと見続けていたいと思うが(船が下ると山の端に隠れ)船は渝州にくだる

故郷を長く後にする初めての旅。この頃の旅はほとんどが船です。特に成都あたりでは峨眉山は南側、渝州へは東向きに向かうので見えていた月は山の影に入ってしまい見合なくなってしまいます。峨眉山、半月、羌江、清渓、これらがすべて君を思うにかかっている課の情を偲んで旅立つ気持ちを詩たものです。昔の女性は、出世を願って、待っているが普通のことです。直接的な表現は野暮なものとされていましたから、こういう表現は最大級の彼女への思いといえるでしょう。

  峨眉山月歌         

峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流。
夜発清渓向三峡、思君不見下渝州。 

峨眉山月の歌
峨眉 山月  半輪(はんりん)の秋
影は平羌(へいきょう)の江水(こうすい)に入って流る
夜  清渓(せいけい)を発して三峡に向かう
君を思えども見えず  渝州(ゆしゅう)に下る



李白 3

江行寄遠 

刳木出呉楚、危槎百余尺。

疾風吹片帆、日暮千里隔。

別時酒猶在、已為異郷客。

思君不可得、愁見江水碧。


江行して遠くに寄す
小舟を準備し呉楚の地へ旅立つ
危ないと思うほど大きくてぼろ舟。
疾風は帆をはらんでくれる
一日で千里、進ませる
別れの時の酒がま残っているほどなのに
こころはすでに異郷の旅人となる
君を思うが会うことはできない
愁い心でみるのは江水の碧(みどり)だ


この詩は嘉州を過ぎて戎州(四川省宜賓市)へ向かうあたりでの作でしょう。題に「寄遠」(遠くに寄す)とあるのは、故郷に書き送ったものでます。




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