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盛唐の詩人


孟浩然の詩



209 孟浩然  もうこうねん 689- 740年

 盛唐の代表的な詩人。襄陽出身。若い頃には各地を放浪し、任侠で知られたり鹿門山に隠遁した。玄宗の時代に仕官を図るが科挙に及第せずかなわなかった。しかし詩人としての名は知れ渡っており王維・李白・張九齢らと親交を結ぶ。自然詩が高く評価され、自然の中に人生と超俗を詠みこんでいるとされる。


1. 春曉(春眠不覺曉)
2. 留別王侍御維(寂寂竟何待)
3. 送杜十四之江南(荊呉相接水爲ク)
4. 送朱大入秦(遊人五陵去)
5. 望洞庭湖贈張丞相(八月湖水平)
6. 宿桐廬江寄廣陵舊遊(山暝聽猿愁)
7. 過故人莊(故人具鷄黍)
8. 送友入京(君登青雲去)
9. 歳暮帰南山(北闕休上書)
10夏日辮玉法師茅齋
11宿建徳江
12悪顔銭塘登二選 『望潮』 作
13下層石


・若年は郷里の鹿門(ろくもん)山に隠棲(いんせい)。
・40歳ごろ初めて長安に出、王維(おうい)、張九齢(ちょうきゅうれい)らと交際してその才能を認められたが、科挙には及第せず、郷里へ帰った。
・のち荊州(けいしゅう)(湖北省)の長史に左遷された張九齢に招かれてその幕僚となったが、ほどなく辞任し、一生を不遇のうちに過ごした。
・王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向をもつ。

 若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。また後漢の?徳公や皮日休ゆかりの鹿門山(襄樊市)に隠棲したこともあった。玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していないのでかなわなかった。しかし、孟浩然を気に入った韓朝宗との約束を、飲み会のためにすっぽかして朝廷への推薦をだめにしたり、王維の取り成しで玄宗皇帝の前に出ても不平不満を詩にして玄宗皇帝を怒らせる(歳暮帰南山)など、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。

 孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと親しく交際した(李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」という作品がある)。740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態が悪化して亡くなった。

 
 山水田園詩人・自然詩人としての孟浩然とその自然描写の作品に対する、我が国における代表的な評価を確認しておきたい。我が国のものとしては、まず、小川環樹氏の評価を取り上げるべきであろう。小川氏は、王維と孟浩然とを比較し、王維が傍観者としての態度をもちつづけ、政治に対してのみならず、風景を歌うにも遠景を愛するのに」対して、孟浩然は「より情熱的な詩人」であるとし、「孟浩然の目をとおした自然はもっと人間に親近したものなのである。」とする。また、「孟浩然の詩中の風物は活動的であり、王維のはいつそう静止的だといえるだろうか。王維には枯れさびた色相があり、孟には明朗な気分があることにもなる。」とも言う。小川氏は、このように、孟浩然詩の特徴として情熱性・活動性・明朗さを指摘しており、またそれは妥当であると考えられる。


孟浩然と謝霊運とは、自然描写における詩的感覚が同様であるとしても、描写された自然が動いているか静止しているかという点で、大きな違いがあると考えられる。
さて、ここで、小川氏・深沢氏の指摘を大きくまとめると、孟浩然詩の自然描写の特徴は、「活動的自然」と詩人の「自然に対する主体的・能動的関与」とすることができよう。そして、これらの指摘は、孟浩然の文学を考察する上で重要であると考えられる。








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