←前へ  次へ→    『法門申さるべき様の事』
(★434n)
 弥陀念仏は法華経の肝心なり、なんど答へ申すなり。而るを念仏者・禅宗等のやつばらには天魔乗りうつりて、当世の天台真言の僧よりも智慧かしこきゆえに、全くしからず、禅ははるかに天台真言に超えたる極理なり。或は云はく、諸経は理深、我等衆生は解微なり、機教相違せり、得道あるべからず、なんど申すゆへに、天台真言等の学者、王臣等の檀那皆奪ひとられて御帰依なければ、現身に餓鬼道に堕ちて友の肉をはみ、仏神にいかりをなし、檀那をずそし、年々に災を起こし、或は我が生身の本尊たる大講堂の教主釈尊をやきはらい、或は生身の弥勒菩薩をほろぼす。進んでは教主釈尊の怨敵となり、退いては当来弥勒の出世を過たんとくるい候か。この大罪は経論にいまだとかれず。
  又此の大罪は叡山三千人の失にあらず、公家武家の失となるべし。日本一州上下万人一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓並びに天照大神等隣国の聖人に仰せつけられて謗法をためさんとせらるゝか。例せば国民たりし清盛入道王法をかたぶけたてまつり、結句は山王大仏殿をやきはらいしかば、天照大神・正八幡・山王等よりきせさせ給ひて、源の頼義が末の頼朝に仰せ下して平家をほろぼされて国土安穏なりき。今一国挙りて仏神の敵となれり。我が国に此の国を領すべき人なきかのゆへに大蒙古国は起こるとみへたり。例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし。彼の国々禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ。日本国は彼の二国の弟子なり。二国のほろぼされんに、あに此の国安穏なるべしや。国をたすけ家ををもはん人々は、いそぎ禅念の輩を経文のごとくいましめらるべきか。経文のごとくならば仏神日本国にましまさず。かれを請じまいらせんと術はおぼろけならでは叶ひがたし。先づ世間の上下万人の云はく「八幡大菩薩は正直の頂にやどり給ふ。別のすみかなし」等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはをはしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかをはせざるか。
 
平成新編御書 ―434n―