←前へ 次へ→ 『法門申さるべき様の事』
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嘉祥元年六月十五日の格に云はく、「右入唐廻りて請益す。伝灯法師位円仁の表にく、伏して天台宗の本朝に伝はることを尋ぬれば○延暦二十四年○二十五年○特り天台の年分度者二人を賜ふ。一人は真言の業を習はし一人は止観の業を学す○然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は是桓武天皇の崇建する所」等云云。叡山にをいては天台宗にたいしては真言宗の名をけづり、天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。而るに末代に及びて天台真言両宗中あしうなりて、骨と肉と分け、座主は一向に真言となる。骨なき者のごとし。大衆は多分は天台宗なり、肉なきものゝごとし。仏法に諍ひあるゆへに世間の相論も出来して叡山静かならず、朝下にわづらい多し。此等の大事を内々は存ずべし。此の法門はいまだをしえざりき。よくよく存知べし。
又念仏宗は法華経を背きて浄土の三部経につくゆへに、阿弥陀仏を正として釈迦仏をあなづる。真言師、大日をせんとをもうゆへに釈迦如来をあなづる。戒にをいては大小殊なれども釈尊を本とす。余仏は証明なるべし。諸宗殊なりとも釈迦を仰ぐべきか。師子の中の虫師子をくらう。仏教をば外道はやぶりがたし、内道の内に事いできたりて仏道を失ふべし。仏の遺言なり。仏道の内には小乗をもて大乗を失ひ、権大乗もて実大乗を失ふべし。此等は又外道のごとし。又小乗権大乗よりは実大乗法華経の人々が、かへりて法華経をば失わんが大事にて候べし。仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに異国我が朝をほろぼさんとす。叡山の正法の失するゆえに、大天魔日本国に出来して、法然大日等が身に入り、此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて叡山三千人に入るゆえに師檀中不和にして御祈祷しるしなし。御祈請しるしなければ三千の大衆等檀那にすてはてられぬ。
又王臣等天台真言の学者に向かひて問うて云はく、念仏・禅宗等の極理は天台・真言とは一かととはせ給へば、名は天台・真言にかりて其の心も弁へぬ高僧、天魔にぬかれて答へて云はく、禅宗の極理は天台真言の極理なり、
平成新編御書 ―433n―