←前へ 次へ→ 『法門申さるべき様の事』
(★435n)前
但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候へ。其の故は故最明寺入道に向かひて、禅宗は天魔のそいなるべし。のちに勘文もてこれをつげしらしむ。日本国の皆人無間地獄に堕つべし。これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ。これをもって推察あるべし、それより外の小事曲ぐべしや。又聖人は言をかざらずと申す。又いまだ顕はれざる後をしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり。此の法門のゆへに二十余所をわれ、結句流罪に及び、身に多くのきずをかをほり、弟子をあまた殺させたり。比干にもこえ、伍しそにもをとらず。提婆菩薩の外道に殺され、師子尊者の壇弥利王に頚をはねられしにもをとるべきか。もししからば八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給ひてはいづれの人の頂にかすみ給はん。日蓮を此の国に用ひずばいかんがすべきと、なげかれ候なりと申せ。
又日蓮房の申し候、仏菩薩並びに諸大善神をかへしまいらせん事は別の術なし、禅宗・念仏宗の寺々を一もなく失ひ、其の僧らをいましめ、叡山の講堂を造り、霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請じ入れたてまつらざらん外は、諸神もかへり給ふべからず、諸仏も此の国を扶け給はん事はかたしと申せ。
平成新編御書 ―435n―