←前へ 次へ→ 『法門申さるべき様の事』
(★431n)
東寺・天台の大法・秘法尽して行ぜしがついにむなしくなりぬ。禅宗・律僧等又一同に行ぜしかどもかなはず。日蓮が叶ふまじと申すとて不思議なりなんどをどし候ひしかども皆むなしくなりぬ。小事たる今生の御いのりの叶はぬを用てしるべし。大事たる後生叶ふべしや。
真言宗の漢土に弘まる始めは、天台の一念三千を盗み取りて真言の教相と定めて理の本とし、枝葉たる印・真言を宗と立て、宗として天台宗を立て下す条謗法の根源たるか。又華厳・法相・三論も天台宗日本になかりし時は謗法ともしられざりしが、伝教大師円宗を勘へいだし給ひて後、謗法の宗ともしられたりしなり。当世真言等の七宗の者しかしながら謗法なれば、大事の御いのり叶ふべしともをぼへず。天台宗の人々は我が宗は正なれども、邪なる他宗と同ずれば我が宗の正をもしらぬ昔なるべし。譬へば東に迷ふ者は対当の西に迷ひ、東西に迷ふゆへに十方に迷ふなるべし。
外道の法と申すは本内道より出でて候。而れども外道の法をもて内道の敵となるなり。諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学として而も天台宗を失ふなるべし。天台宗の人々は我が宗は実義とも知らざるゆへに、我が宗のほろび、我が身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて我が宗を失ふなるべし。法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とはとなえずして、南無阿弥陀仏と常に唱へば、法華経を失ふ者なるべし。例せば外道は三宝を立て、其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱へしかば、仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり。此をもって内外のしるしとす。南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり。心には法華経の行者と存ずとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とをもうべし。叡山の三千人は此の旨を弁へずして王法にもすてられ叡山をもほろぼさんとするゆへに、自然に三宝に申す事叶はず等と申し給ふべし。
人不審して云はく、天台・妙楽・伝教等の御釈に、我がやうに法華経並びに一切経を心えざらん者は、
平成新編御書 ―431n―