←前へ 次へ→ 『南条兵衛七郎殿御書』
(★325n)
仏法と仏法とがゆき合ひてあらそひをなして、人を損ずる事のあるなり。さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもちてこれをやぶるべし。仏の印度にいでて外道をやぶり、まとうか・ぢくほうらんの震旦に来て道士をせめ、上宮太子和国に生まれて守屋をきりしが如し。仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもちてやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもちてこれをやぶるべし。天台智者大師の南三・北七をやぶりしが如し。而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばひの四衆皆法華経の機と定りぬ。善人悪人・有智無智、皆五十展転の功徳をそなふ。たとへば崑崙山に石なく、蓬莱山に毒のなきが如し。而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をのべて珠を投げさせ石をとらせたるなり。止観の五に云はく「瓦礫を貴んで明珠なりとす」と申すは是なり。一切衆生石をにぎりて珠とおもふ。念仏を申して法華経をすてたる是なり。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をますなり是五。
但とのは、このぎを聞こし食して、念仏をすて法華経にならせ給ひてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給ひてはべるらん。法華経をすてゝ念仏者とならせ給はんは、峰の石の谷へころび、空の雨の地におつるとおぼせ。大阿鼻地獄疑ひなし。大通結縁の者の三千塵点劫をへ、久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあひて法華経をすてゝ念仏等の権教にうつりし故なり。一家の人々念仏者にてましましげに候ひしかば、さだめて念仏をぞすゝめむと給ひ候らん。我が信じたる事なればそれも道理にては候へども、悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人々なりとおぼして、大信心を起こし御用ひあるべからず。大悪魔は貴き僧となり、父母兄弟等につきて人の後世をばさうるなり。いかに申すとも、法華経をすてよとたばかりげに候はんをば御用ひあるべからず候。まづ御きゃうざくあるべし。
平成新編御書 ―325n―