←前へ  次へ→    『南条兵衛七郎殿御書』
(★324n)
  国をしるべし、国に随って人の心不定なり。たとへば江南の橘の淮北にうつされてからたちとなる。心なき草木すらところによる、まして心あらんもの何ぞ所によらざらん。されば玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国々を多く記したるに、国の習ひとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚のさかんなる国もあり、愚癡の多き国もあり。一向に小乗を用ふべき国あり、二向大乗を用ふる国あり。大小兼学すべき国もあり等と見へ侍り。又一向に殺生の国、一向に偸盗の国、又穀の多き国、粟等の多き国不定なり。抑日本国はいかなる教を習ひて生死を離るべき国ぞと勘へたるに、法華経に云はく「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云。此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁の経なり。弥勒菩薩の云はく「東方に小国有り唯大機のみ有り」等云云。此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の国に大乗経の機あるか。肇公の記に云はく「茲の典は東北の諸国に有縁なり」等云云。法華経は東北の国に縁ありとかゝれたり。安然和尚云はく「我が日本国皆大乗を信ず」等云云。慧心の一乗要決に云はく「日本一州円機純一」等云云。釈迦如来・弥勤菩薩・須梨耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心の先徳等の心ならば日本国は純らに法華経の機なり。一句一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし。有縁の法なる故なり。たとへばくろがねを磁石のすうが如し。方諸の水をまねくににたり。念仏等の余善は無縁の国なり。磁石のかねをすわず方諸の水をまねかざるが如し。故に安然の釈に云はく「如し実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん」等云云。此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさづくるもの、我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり。されば法は必ず国をかゞみて弘むべし。彼の国によかりし法なれば必ず此の国によかるべしとは思ふべからず是四。
  又仏法流布の国においても前後を勘ふべし。仏法を弘むる習ひ、必ずさきに弘まりける法の様を知るべきなり。例せば病人に薬をあたふるにはさきに服したりける薬を知るべし。薬と薬とがゆき合ひてあらそひをなし、人をそんずる事あり。
 
平成新編御書 ―324n―