←前へ 次へ→ 『当世念仏者無間地獄事』
(★317n)
不審して云はく、上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救ふか。実に浄土の三師並びに竜樹菩薩、仏説により此の三部経の文を開くに、念仏に対して諸行を傍と為す事粗経文に之見えたり。経文に嫌はれし程の諸行、念仏に対して之を嫌はんこと之過むべきに非ず。但不審なるの処は双観経の念仏已外の諸行、観無量寿経の念仏以外の定散、阿弥陀経の念仏の外の小善根の中に法華・涅槃・大日経等の極大乗経を入れ、念仏に対して不往生の善根ぞと仏の嫌はせ給ひけるを竜樹菩薩三師並びに法然之を嫌はゞ何の失有らん。但し三部経の小善根等の句に法華・涅槃・大日経等入るべしとも覚えざれば三師並びに法然の釈を用ひざるなり。無量義経の如きは四十余年未顕真実と説き、法華八箇年を除きて以前四十二年に説く所の大小権実の諸経は、一字一点も未顕真実の語に漏るべしとも覚えず。如之四十二年の間に説く所の阿含・方等・般若・華厳の名目之を出だせり。既に大小の諸経を出だして生滅無常を説ける諸の小乗経を阿含の句に摂し、三無差別の法門を説ける諸大乗経を華厳海空の句に摂し、十八空等を説ける諸大乗経を般若の句に摂し、弾呵の意を説ける諸大乗経を方等の句に摂す。是くの如く年限を指し経の題目を挙げたる無量義経に依って法華経に対して諸経を嫌ひ、嫌へる所の諸経に依れる諸宗を下すこと天台大師の私に非ず。汝等が浄土の三部経の中には念仏に対して諸行を嫌ふ文は之有れども、嫌はるゝ諸行は浄土の三部経よりの外の五十年の諸経なりと云ふ現文は之無し。又無量義経の如く阿含・方等・般若・華厳等をも挙げず。誰か知る、三部経には諸の小乗経並びに歴劫修行の諸経等の諸行を仏小善根と名づけ給ふと云ふ事を。左右無く念仏よりの外の諸行を小善等と云へるを法華・涅槃等の一代の教なりと打ち定めて捨閉閣抛の四字を置いては、仏意に乖くらんと不審する計りなり。例せば王の所従には、諸人の中、諸国の中の凡下等一人も残るべからず。民が所従には、諸人諸国の主は入るべからざるが如し。誠に浄土の三部経等が一代超過の経ならば、五十年の諸経を嫌ふも其の謂はれ之有りなん。三部経の文より事起こりて一代を摂すべしとは見えず。
平成新編御書 ―317n―