←前へ  次へ→    『持妙法華問答抄』
(★298n)
 其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。文の心は、法華経をよみたもたん者を見て、かろしめ、いやしみ、にくみ、そねみ、うらみをむすばん。其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり。大聖の金言誰か是を恐れざらんや。「正直捨方便」の明文、豈是を疑ふべきや。然るに人皆経文に背き、世悉く法理に迷へり。汝何ぞ悪友の教へに随はんや。されば「邪師の法を信じ受くる者を名づけて毒を飲む者なり」と天台は釈し給へり。汝能く是を慎むべし、是を慎むべし。
  倩世間を見るに法をば貴しと申せども、其の人をば万人是を悪む。汝能く能く法の源に迷へり。何にと云ふに、一切の草木は地より出生せり。是を以て思ふに、一切の仏法も又人によりて弘まるべし。之に依って天台は「仏世すら猶人を以て法を顕はす。末代はいづくんぞ法は貴けれども人は賤しと云はんや」とこそ釈して御坐し候へ。されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり。其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり。爰に知んぬ、当世の人は詞と心と総てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈冥の照覧恥づかしからざらんや。地獄の苦しみ恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし。上根に望めても卑下すべからず。下根を捨てざるは本懐なり。下根に望めても■慢ならざれ。上根ももるゝ事あり、心をいたさざるが故に。
  凡そ其の里ゆかしけれども道絶たえ縁なきには、通ふ心もをろそかに、其の人恋しけれども憑めず契らぬには、待つ思ひもなをざりなるやうに、彼の月卿雲客に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず。「我即是父」の柔軟の御すがた見奉るべきをも未だ見奉らず。是誠に袂をくたし、胸をこがす歎きならざらんや。暮れ行く空の雲の色、有明方の月の光までも心をもよほす思ひなり。事にふれ、をりに付けても後世を心にかけ、花の春、雪の朝も是を思ひ、風さはぎ、村雲まよふ夕にも忘るゝ隙なかれ。出る息は入る息をまたず。何なる時節ありてか、毎自作是念の悲願を忘れ、何なる月日ありてか、無一不成仏の御経を持たざらん。昨日が今日になり、去年の今年となる事も、是期する処の余命にはあらざるをや。総て過ぎにし方をかぞへて、
 
平成新編御書 ―298n―