←前へ 次へ→ 『持妙法華問答抄』
(★297n)
同じく信を取るならば、又大小権実のある中に、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ。持つ処の御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。爰を以て経に云はく「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」と説き給へり。大聖の金言疑ひなし。然るに人此の理をしらず見ずして、名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基なり。只願はくは経を持ち、名を十方の仏陀の願海に流し、誉れを三世の菩薩の慈天に施すべし。然れば法華経を持ち奉る人は、天竜八部諸大菩薩を以て我れ眷属とする者なり。しかのみならず、因身の肉団に果満の仏眼を備へ、有為の凡膚に無為の聖衣を著ぬれば、三途に恐れなく八難に憚りなし。七方便の山の頂に登りて九法界の雲を払ひ、無垢地の園に花開け、法性の空に月明らかならん。「是の人仏道に於て、決定して疑ひ有ること無けん」の文憑みあり。「唯我一人のみ能く救護を為す」の説疑ひなし。一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ、五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり。頓証菩提の教は遥かに群典に秀で、顕本遠寿の説は永く諸乗に絶えたり。爰を以て八歳の竜女は大海より来たりて経力を刹那に示し、本化の上行は大地より涌出して仏寿を久遠に顕はす。言語道断の経王、心行所滅の妙法なり。
然るに此の理をいるがせにして余経にひとしむるは、謗法の至り、大罪の至極なり。譬へを取るに物なし。仏の神変にても何ぞ是を説き尽くさん。菩薩の智力にても争でか是を量るべき。されば譬喩品に云はく「若し其の罪を説かば、劫を窮むとも尽きじ」と云へり。文の心は法華経を一度もそむける人の罪をば、劫を窮むとも説き尽くし難しと見へたり。然る間、三世の諸仏の化導にももれ、恒沙の如来の法門にも捨てられ、冥きより冥きに入りて阿鼻大城の苦患争でか免れん。誰か心あらん人長劫の悲しみを恐れざらんや。爰を以て経に云はく「経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して而も結恨を懐かん。
平成新編御書 ―297n―