←前へ 次へ→ 『持妙法華問答抄』
(★299n)
年の積るをば知るといへども、今行末にをいて、一日片時も誰か命の数に入るべき。臨終已に今にありとは知りながら、我慢偏執名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下にかひなし。さこそは皆成仏道の御法とは云ひながら、此の人争でか仏道にものうからざるべき。色なき人の袖にはそゞろに月のやどる事かは。又命已に一念にすぎざれば、仏は一念随喜の功徳と説き給へり。若し是二念三念期すと云はゞ、平等大慧の本誓、頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず。流布の時は末世法滅に及び、機は五逆謗法をも納めたり。故に頓証菩提の心におきてられて、狐疑執着の邪見に身を任する事なかれ。生涯幾くならず。思へば一夜の仮の宿を忘れて幾くの名利をか得ん。又得たりとも是夢の中の栄へ、珍しからぬ楽しみなり。只先世の業因に任せて営むべし。世間の無常をさとらん事は、眼に遮り耳にみてり。雲とやなり、雨とやなりけん、昔の人は只名をのみきく。露とや消へ、煙とや登りけん、今の友も又みえず。我いつまでか三笠の雲と思ふべき。春の花の風に随ひ、秋の紅葉の時雨に染むる。是皆ながらへぬ世の中のためしなれば、法華経には「世は皆牢固ならざること、水沫泡焔の如し」とすゝめたり。「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ、順縁逆縁の御ことのは、已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ。又本意に叶はゞ仏の恩を報ずるなり。悲母深重の経文心安ければ、唯我一人の御苦しみもかつがつやすみ給ふらん。釈迦一仏の悦び給ふのみならず、諸仏出世の本懐なれば、十方三世の諸仏も悦び給ふべし。「我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり」と説かれたれば、仏悦び給ふのみならず、神も即ち随喜し給ふなるべし。伝教大師是を講じ給ひしかば、八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人是を読み給ひしかば、松尾の大明神は寒風をふせがせ給ふ。
されば「七難即滅七福即生」と祈らんにも此の御経第一なり。現世安穏と見えたればなり。他国侵逼難・自界叛逆の難の御祈祷にも、此の妙典に過ぎたるはなし。「百由旬の内に諸の衰患無からしむべし」と説かれたればなり。然るに当世の御祈祷はさかさまなり。先代流布の権教なり。末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり。
平成新編御書 ―299n―