←前へ  次へ→    『顕謗法抄』
(★287n)
 後に無著菩薩に対して此の罪を懺悔せんがために舌を切らんとくい給ひき。謗法もし罪とならずんば、いかんが千部の論師懺悔をいたすべき。闡提とは天竺の語、此には不信と翻ず。不信とは、一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見へたり。不信とは謗法の者なり。恒河の七種の衆生の第一は一闡提謗法常没の者なり。第二には五逆謗法常没等の者なり。あに謗法ををそれざらん。答へて云はく、謗法とは、只由なく仏法を謗ずるを謗法というか。我が宗をたてんがために余法を謗ずるは謗法にあらざるか。摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣とは、仮令人ありて一生の間一善をも修せず但悪を作る者あり。而るに小縁にあひて何れの善にてもあれ一善を修せんと申す。これは随喜讃歎すべし。又善人あり、一生の間たゞ一善を修す。而るを他の善へうつさんがためにそのぜんをそしる。一事の中に於て或は呵し或は讃ずというこれなり。大論の四悉檀の中の対治悉檀又これおなじ。浄名経の弾呵と申すは阿含経の時ほめし法をそしるなり。此等を以ておもふに、或は衆生多く小乗の機あれば、大乗を謗りて小乗経に信心をまし、或は衆生多く大乗の機なれば、小乗経をそしりて大乗経に信心をあつくす。或は衆生弥陀仏に縁あれば、諸仏をそしりて弥陀に信心をまさしめ、或は衆生多く地蔵に縁あれば、諸菩薩をそしりて地蔵をほむ。或は衆生多く華厳経に縁あれば、諸経をそしりて華厳経をほむ。或は衆生大般若経に縁あれば、諸経をそしりて大般若経をほむ。或は衆生法華経、或は衆生大日経等、同じく心うべし。機を見て或は讃め或は毀る、共に謗法とならず。而るを機をしらざる者、みだりに或は讃め或は呰るは謗法となるべきか。例せば華厳宗・三論・法相・天台・真言・禅・浄土等の諸師の諸経をはして我が宗を立つるは謗法とならざるか。
  難じて云はく、宗を立てんに諸経諸宗を破し、仏・菩薩を讃むるに仏・菩薩を破し、他の善根を修せしめんがためにこの善根をはする、くるしからずば、阿含等の諸の小乗経に華厳経等の諸大乗経をはしたる文ありや。華厳経に法華・大日経等の諸大乗経をはしたる文これありや。答へて云はく、阿含小乗経に諸大乗経をはしたる文はなけれども、
 
平成新編御書 ―287n―