←前へ  次へ→    『顕謗法抄』
(★282n)
 或は云はく「疾く無上菩提を成ずることを得ず」ととかるれば、四十余年の経々にては疾くこそ仏にはならねども、遅く劫を経てはなるか。難じて云はく、次下の大荘厳菩薩等の領解に云はく「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」等云云。此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏はかたきか。有るひは云ふ、華厳宗の料簡に云はく、四十余年の内には華厳経計りは入るべからず。華厳経にすでに往生成仏此あり。なんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん。答へて云はく、四十余年の内に華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の義なり。無量義経には正しく四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出だして、四十余年の内にかずへ入れられたり。人師を本とせば仏を背くになりぬ。問うて云はく、法華経を離れて往生成仏をとげずば、仏世に出でさせ給ひては但法華経計りをこそ説き給はめ。なんぞわづらはしく四十余年の経々を説かせ給ふや。答へて云はく、此の難は仏自ら答へ給へり。「若し但仏乗を讃せば衆生苦に没在して法を破して信ぜざるが故に三悪道に堕ちなん」等の経文これなり。問うて云はく、いかなれば爾前の経をば衆生謗ぜざるや。答へて云はく、爾前の経々は万差なれども、束ねて此を論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべり。故に違する事なし。譬へば水に石をなぐるにあらそうことなきがごとし。又しなじなの説教はんべれども九界の衆生の心を出でず。衆生の心は皆善につけ悪につけて迷を本とするゆへに仏にはならざるか。
  問うて云はく、衆生謗ずべきゆへに仏最初に法華経をとき給はずして、四十余年の後に法華経をとき給はゞ、汝なんぞ当世に権経をばとかずして、左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや。答へて云はく、仏在世には仏菩提樹の下に坐し給ひて機をかゞみ給ふに、当時法華経を説くならば、衆生謗じて悪道に堕ちぬべし。四十余年すぎて後にとかば、謗ぜずして初住不退乃至妙覚にのぼりぬべしと知見しましましき。末代濁世には当機にして初住の位に入るべき人は万に一人もありがたかるべし。又能化の人も仏にあらざれば、機をかゞみん事もこれかたし。
 
平成新編御書 ―282n―