←前へ 次へ→ 『今此三界合文』
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唯我一人のみ示すべく救ふべし」と。涅槃経三十五の巻の迦葉菩薩品に云はく「我処々の経中に於て説いて言はく、一人出世すれば多人利益す。一国の中に二転輪王あり一世界の中に二仏出世すといはゞ、是の処有ること無けん」と。大論の九に云はく「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏国土と為す。是の中更に余仏無し。実に一の釈迦牟尼仏のみなり」と。籤の九に云はく「十方に各釈迦の浄土有り」と。大集経に云はく「一切衆生受くる所の苦は、皆是如来一人の苦なり」と。涅槃経に云はく「一切衆生異の苦を受くるは、悉く是如来一人の苦なり」文。大論三十八に云はく「仏国とは恒沙等の如き諸の三千大千世界、是を一仏土と名づく。諸仏の神力能く普遍自在にして碍り無しと雖も衆生度する者局り有り」文。化城喩品に云はく「第十六は我釈迦牟尼仏なり。娑婆国土に於て阿耨多羅三藐三菩提を成ず」文。寿量品に云はく「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」文。提婆品に云はく「我釈迦如来を見たてまつるに、無量劫に於て難行苦行して、功を積み徳を累ねて未だ曽て止息したまはず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き計りも是菩薩にして、身命を捨てたまふ処に非ざること有ること無し」文。斎法功徳経に云はく「復仏の言はく、尸毘王と為りて鳩に代はりて鷹に身を施し○是くの如く無量劫に於て難行苦行して、功を積み徳を累ねて仏道を求め、未だ曽て止息せず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、我が身命を捨てし処に非ざること有ること無し、此の衆生の為の故なり。然して後に乃ち菩提の道を成ずることを得て、釈迦牟尼如来と名づく」文。懐中に云はく「法華経二十八品に付いて、前の十四品は是迹、後の十四品は是本なり。前の十四品の中には但釈迦如来は釈氏の宮を出でて伽耶城を去りて始めて正覚を成ずることを明かす。四十余年諸の衆生の為に三乗の法を説く。人・天・修羅は皆釈迦如来浄飯宮に於て、始めて菩提を得たまへりと謂へり」文。又云はく「後の十四品は正しく如来久遠の成道を明かす。地涌の菩薩涌出し、先づ久成の相を顕はし、寿量品に正しく久遠の成道を説く」文。又云はく「本門に於て亦二種有り。一には随他の本門、
平成新編御書 ―254n―