←前へ  次へ→    『今此三界合文』
(★252n)
 初めに如来を歎ず。允に諸仏に同じて其の尊仰を生ず。是を世の父と為す。応供とは、是上福田にして能く善業を生ず。是を世の主と為す。正遍知とは能く疑滞を破し其の智解を生ず。是を世の師と為す」と。故に下の文に云はく「我等今より主無く、親無く、宗仰する所無し」云云。経に云はく「世間空虚に、衆生福尽き、不善の諸業増長す○我等今より救護有ること無く、宗仰する所無く、貧窮孤露なり。一旦無上世尊に遠離したてまつらば、設ひ疑惑有りとも、当に復誰にか問ふべし」と。又云はく「救無く護無く宗仰する所無しとは、此は無主の苦を釈す。貧窮孤露にして一旦無上世尊に遠離すとは無親の苦を釈す。設ひ疑惑有りとも当に復誰にか問ふとは無師の苦を釈す」と。経の第二に云はく「我等今より主無く親無く救無く護無く帰無く趣無くして貧窮飢困なり」と。涅槃の疏第二に云はく「無主は是仏を失ひ、無親は是法を失ひ、無救は是僧を失ふ。若し主無ければ忠護する所無く、若し親無ければ孝帰する所無く、若し師無ければ学趣く所無からん。既に主の為に護られず、又主として護るべき無きは、即ち栄無く禄無し。是の故に貧と言ふ。既に親として帰すべき無く、又親去りて帰せざれば、即ち生無く陰無きなり。是の故に窮と言ふ。既に師として趣くべき無く、又師として趣くを示さゞれば、即ち訓無く成無し。是の故に困と言ふ」と。又云はく「主無く親無ければ家を亡ぼし国を亡ぼす」と。又云はく「一体の仏を主師親と作す」と。又云はく「世尊を挙げて主と為すことを許し、種智を挙げて師と為すことを許し、調御を挙げて親と為すことを許す。既に主と為すことを許せば即ち其の貧を断じ、既に親と為すことを許せば即ち其の窮をき、既に師と為すことを許せば即ち其の困を除く」と。
 
   今此三界皆是我有
     外道 天尊 色界の頂に居る三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・大梵天王
 
平成新編御書 ―252n―