←前へ  次へ→    『今此三界合文』
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 0032今此三界合文   (文応元年  三九歳)
 
  経に云はく「我も亦為れ世の父」と。経に云はく「今此の三界は皆是我が有なり 国主なり報身なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 親父なり法身なり 而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護を為す 導師なり応身なりと。
  今此三界の事
  文句の五に云はく「一には等子、二には等車、子等しきを以ての故に則ち心等し。一切衆生等しく仏性有るに譬ふ。仏性同じきが故に等しく是子なり」と。記の五に云はく「子等しきを以ての故に則ち心等しと言ふは、先づ子等しきを明かさば、子に非ざること無きが故に、故に心必ず等し。其の心若し等しければ其の子必ず等し。心は即ち心性なり、故に仏性等し。皆是子なるに由るが故に心偏すること無し。財法復多し、是の故に心等し」と。又云はく「是の故に今経一実の外更に余法無く、一切衆生皆是吾が子なり。縁因は尚散善を収む」と。又云はく「経に一切衆生皆是吾が子と云ふは、大経の中に一切衆生皆大般涅槃に至らずと云ふこと無きが如し。子の義は因に在り、涅槃は果に在り、大乗の宗要此の二を逾ゆること莫し。皆悉く有りと云ふ。安んぞ権教に順じて一分無しと云はんや」と。文句の九に云はく「是我が弟子なり、我が法を弘むべし」と。記の九に云はく「子父の法を弘むるに世界の益有り」と。
  主師親の事
  涅槃経第一に云はく「今日如来・応供・正遍知、衆生を憐愍し衆生を覆護す。等しく衆生を視ること羅・羅の如く、為に帰依の屋舎室宅と作る」と。涅槃の疏一に云はく「但三号を歎ずることは、三事を明かさんと欲するなり。
 
平成新編御書 ―251n―