←前へ 次へ→ 『唱法華題目抄』
(★226n)
大日経を法華経に対すれば、大日経は不了義経、法華経は了義経なり。故に四十余年の諸経並びに涅槃経を打ち捨てさせ給ひて、法華経を師匠と御憑み候へ。法華経をば国王・父母・日月・大海・須弥山・天地の如くおぼしめせ。諸経をば関白・大臣・公卿・乃至万民・衆星・江河・諸山・草木等の如くおぼしめすべし。我等が身は末代造悪の愚者・鈍者・非法器の者、国王は臣下よりも人をたすくる人、父母は他人よりも子をあはれむ者、日月は衆星より暗を照らす者、法華経は機に叶はずんば況んや余経は助け難しとおぼしめせ。又釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸仏菩薩は我等が慈悲の父母、此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみとゞまれりとおぼしめせ。諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕はさずとおぼしめせ。法華経の一切経に勝れ候故は但此の事に侍り。而るを当世の学者、法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶はずと申すを皆信ずる事豈謗法の人に侍らずや。只一口におぼしめし切らせ給ひ候へ。所詮法華経の文字を破りさきなんどせんには法華経の心やぶるべからず。又世間の悪業に対して云ひうとむるとも、人々用ゆべからず。只相似たる権経の義理を以て云ひうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし。
問うて云はく、或智者の申され候ひしは、四十余年の諸経と八箇年の法華経とは、成仏の方こそ爾前は難行道、法華経は易行道にて候へ。往生の方にては同事にして易行道に侍り。法華経を書き読みても十方の浄土阿弥陀仏の国へも生まるべし。観経等の諸経に付いて弥陀の名号を唱へん人も往生を遂ぐべし。只機縁の有無に随って何をも諍ふべからず。但し弥陀の名号は人ごとに行じ易しと思ひて、日本国中に行じつけたる事なれば、法華経等の余行よりも易きにこそと申されしは如何。答へて云はく、仰せの法門はさも侍るらん。又世間の人も多くは道理と思ひたりげに侍り。但し身には此の義に不審あり。其の故は前に申せしが如く、末代の凡夫は智者と云ふともたのみなし、
平成新編御書 ―226n―