←前へ  次へ→    『唱法華題目抄』
(★225n)
 国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず、是を破仏・破国の因縁と為す」文。文の心は末法の諸の悪比丘、国王・大臣の御前にして、国を安穏ならしむる様にして終に国を損じ、仏法を弘むる様にして還って仏法を失ふべし。国王・大臣此の由を深く知ろし食さずして此の言を信受する故に、国を破り仏教を失ふと云ふ文なり。此の時日月度を失ひ、時節もたがひて、夏はさむく、冬はあたゝかに、秋は悪風吹き、赤き日月出で、望朔にあらずして日月蝕し、或は二つ三つ等の日出来せん。大火・大風・彗星等をこり、飢饉・疫病等あらんと見えたり。国を損じ人を悪道におとす者は悪知識に過ぎたる事なきか。
  問うて云はく、始めに智者の御物語とて申しつるは、所詮後世の事の疑はしき故に善悪を申して承らんためなり。彼の義等は恐ろしき事にあるにこそ侍るなれ。一文不通の我等が如くなる者はいかにしてか法華経に信をとり候べき。又心ねをば何様に思ひ定め侍らん。答へて云はく、此の身の申す事をも一定とおぼしめさるまじきにや。其の故はかやうに申すも天魔破旬・悪鬼等の身に入って、人の善き法門を破りやすらんとおぼしめされ候はん。一切は賢きが智者にて侍るにや。
  問うて云はく、若しかやうに疑ひ候はゞ、我が身は愚者にて侍り、万の智者の御語をば疑ひ、さて信ずる方も無くして空しく一期過ごし侍るべきにや。答へて云はく、仏の遺言に依法不依人と説かせ給ひて候へば、経の如くに説かざるをば、何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か。又依了義経・不依不了義経と説かれて候へば、愚癡の身にして一代聖教の前後浅深を弁へざらん程は了義経に付かせ給ひ候へ。了義経・不了義経も多く候。阿含小乗経は不了義経、華厳・方等・般若・浄土の観経等は了義経。又四十余年の諸経を法華経に対すれば不了義経、法華経は了義経。涅槃経を法華経に対すれば、法華経は了義経、涅槃経は不了義経。
 
平成新編御書 ―225n―