←前へ 次へ→ 『唱法華題目抄』
(★224n)
悪知識に於ては畏怖の心を生ぜよ。何を以ての故に、是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊ること能はず。悪知識は二倶に壊るが故に。乃至悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」文。此の文の心を章安大師宣べて云はく「諸の悪象等は但是悪縁にして人に悪心を生ぜしむること能はず、悪知識は甘談詐媚・巧言令色もて人を牽いて悪を作さしむ。悪を作すを以ての故に人の善心を破る。之を名づけて殺と為す、即ち地獄に堕す」文。文の心は、悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧みにして愚癡の人の心を取って善心を破るといふ事なり。総じて涅槃経の心は、十悪・五逆の者よりも謗法・闡提のものをおそるべしと誡めたり。闡提の人と申すは法華経・涅槃経を云ひうとむる者と見えたり。当世の念仏者等法華経を知り極めたる由をいふに、因縁譬喩をもて釈し、よくよく知る由を人にしられて、然して後には此の経のいみじき故に末代の機のおろかなる者及ばざる由をのべ、強き弓重き鎧、かひなき人の用にたゝざる由を申せば、無智の道俗さもと思ひて実には叶ふまじき権教に心を移して、僅かに法華経に結縁しぬるをも翻し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶に謗法の者となる。之に依って謗法の衆生国中に充満して、適仏事をいとなみ、法華経を供養し、追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来たって、法華経は末代の機に叶ひ難き由を示す。故に施主も其の説を実と信じてある間、訪らはるゝ過去の父母・夫婦・兄弟等は弥地獄の苦を増し、孝子は不孝、謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる。日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず。適仏法を知る智者は、国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ、利正を止め、此の国をすて他方に去り給ひ、悪鬼は便りを得て国中に入り替はり、大地を動かし悪風を興し、一天を悩まし五殻を損ず。故に飢渇出来し、人の五根には鬼神入りて精気を奪ふ。是を疫病と名づく。一切の諸人善心無く多分は悪道に堕することひとへに悪知識の教を信ずる故なり。仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め、
平成新編御書 ―224n―