←前へ 次へ→ 『唱法華題目抄』
(★223n)
自ら此の経典作りて世間の人を誑惑す。名聞を求むるを為ての故に分別して是の経を説く。常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向かって、誹謗して我が悪を説いて是邪見の人、外道の論議を説くと謂はん」上已。大師此の文を釈して云はく「三に七行は僭聖増上慢の者を明かす」文。経並びに釈の心は、悪世の中に多くの比丘有って身には三衣一鉢を帯し、阿練若に居して、行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく、在家の諸人にあふがれて、一言を吐けば如来の金言のごとくおもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等に向かひ奉りて、此の人は邪見の者なり、法門は邪法なりなんどいゐうとむるなり。上の三人の中に、第一の俗衆の毀りよりも、第二の邪智の比丘の毀は猶しのびがたし。又第二の比丘よりも、第三の大衣の阿練若の僧は甚し。此の三人は当世の権教を手本とする文字の法師、並びに諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師、並びに彼等を信ずる在俗等、四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁へざる故に、華厳・方等・般若等の心仏衆生・即心是仏・即往十方西方等の文と、法華経の諸法実相・即往十方西方の文と語の同じきを以て義理のかはれるを知らず、或は諸経の言語道断・心行所滅の文を見て、一代聖教には如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪念をおこす。故に悪鬼此の三人に入って末代の諸人を損じ国土をも破るなり。故に経文に云はく「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん、悪鬼其の身に入って我を罵詈し毀辱せん、乃至仏の方便随宜所説の法を知らず」文。文の心は濁悪世の時、比丘、我が信ずる所の教は仏の方便随宜の法門ともしらずして、権実を弁へたる人出来すれば、罵り破しなんどすべし。是偏に悪鬼の身に入りたるをしらずと云ふなり。
されば末代の愚人の恐るべき事は、刀杖・虎狼・十悪・五逆等よりも、三衣一鉢を帯せる暗禅の比丘と並びに権教の比丘を貴しと見て実教の人をにくまん俗侶等なり。故に涅槃経二十二に云はく「悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。
平成新編御書 ―223n―