←前へ 次へ→ 『十法界明因果抄』
(★208n)
重ねて之を語るに比丘信用せざりき等云云。仏の滅後四十年にさえ既に謬り出来せり。何に況んや仏の滅後既に二千余年を過ぎたり。仏法天竺より唐土に至り、唐土より日本に至る。論師・三蔵・人師等伝来せり、定めて謬り無き法は万が一なるか。何に況んや当世の学者偏執を先と為して我慢を挿み、火を水と諍ひ之を糾さず。偶仏の教への如く教へを宣ぶる学者をも之を信用せず。故に謗法ならざる者は万が一なるか。
第二に餓鬼道とは、正法念経に云はく「昔財を貪りて屠殺する者此の報いを受く」と。亦云はく「丈夫自ら美食をひ妻子に与へず。或は婦人自ら食して夫子に与へざるは此の報いを受く」と。亦云はく「名利を貪るが為に不浄説法する者此の報いを受く」と。亦云はく「昔酒をるに水を加ふる者、此の報いを受く」と。亦云はく「若し人労して少しく物を得たるを誑惑して取り用ふる者、此の報いを受く」と。亦云はく「昔行路の人の病苦ありて疲極せるに、其の売を欺き取り、直を与ふること薄少なりし者、此の報いを受く」と。亦云はく「昔刑獄を典主、人の飲食を取りし者此の報いを受く」と。亦云はく「昔陰凉樹を伐り、及び衆僧の園林を伐りし者、此の報いを受く」文。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること、己が舎宅の如し」文。慳貪・偸盗等の罪に依って餓鬼道に堕することは世人知り易し。慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能く能く恐るべきか。
第三に畜生道とは、愚痴無慚にして徒に信施の他物を受けて之を償はざる者此の報いを受くるなり。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし」文。 巳上三悪道なり。
第四に修羅道とは、止観の一に云はく「若し其の心念々に常に彼に勝らんことを欲し、耐へざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて視下ろすが如し。而も外には仁・義・礼・智・信を揚げて下品の善心を起こし阿修羅の道を行ずるなり」文。
平成新編御書 ―208n―