←前へ 次へ→ 『十法界明因果抄』
(★206n)
問うて云はく、十悪五逆等を造りて地獄に堕するは世間の道俗皆之を知れり。謗法に依って地獄に堕するは未だ其の相貌を知らず如何。答へて云はく、堅慧菩薩の造・勒那摩堤の訳の究竟一乗宝性論」に云はく「楽って小法を行じて法及び法師を謗じ○如来の教を識らずして、説くこと修多羅に乖きて是真実義と言ふ」文。此の文の如くんば、小乗を信じて真実義と云ひ、大乗を知らざるは是謗法なり。天親菩薩の説、真諦三蔵の訳の仏性論に云はく「若し大乗に憎背するは、此は是一闡提の因なり、衆生をして此の法を捨てしむるを為ての故に」文。此の文の如くんば、大小流布の世に一向に小乗を弘め、自身も大乗に背き人に於ても大乗を捨てしむる、是を謗法と云ふなり。天台大師の梵網経疏に云はく「謗は是乖背の名なり。を是解とせば理に称はず、言実に当たらず、異解して説く者を皆名づけて謗と為すなり。己が宗に乖くが故に罪を得」文。法華経の譬喩品に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」文。此の文の意は、小乗の三賢已前、大乗の十信已前、末代の凡夫十悪・五逆・不孝父母・女人等を嫌はず。此等は法華経の名字を聞いて、或は題名を唱へ、一字・一句・四句・一品・一巻・八巻等を受持読誦し、乃至亦上の如く行ぜん人を、随喜し讃歎する人は、法華経より外、一代の聖教を深く習ひ義理に達し、堅く大小乗の戒を持てる大菩薩の如き者より勝れて、往生成仏を遂ぐべしと説くを信ぜずして還って法華経は地住已上の菩薩の為、或は上根上智の凡夫の為にして、愚人・悪人・女人・末代の凡夫等の為には非ずと言はん者は、即ち一切衆生の成仏の種を断じて阿鼻獄に入るべしと説ける文なり。涅槃経に云はく「仏の正法に於て永く護惜建立の心無し」文。此の文の意は此の大涅槃経の大法、世間に滅尽せんを惜しまざる者は、即ち是誹謗の者なり。天台大師法華経の怨敵を定めて云はく「聞くことを喜ばざる者を怨と為す」文。謗法は多種なり。大小流布の国に生まれて、一向に小乗の法を学して身を治め大乗に遷らざるは是謗法なり。亦華厳・方等・般若等の諸大乗経を習へる人も、諸経と法華経と等同の思ひを作し、
平成新編御書 ―206n―