←前へ 次へ→ 『災難対治抄』
(★199n)
此の文の如きは施を留めて対治すべしと見えたり。此の外亦治方是多し。具に出だすに暇あらず。
問うて曰く、謗法の者に於て供養を留めて苦治を加ふるは罪有りや不や。答へて曰く、涅槃経に云はく「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す○正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆、当に苦治すべし○尚罪有ること無けん」已上。
問うて云はく、汝僧形を以て比丘の失を顕はすは罪業に非ずや。答へて曰く、涅槃経に云はく「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是我が弟子真の声聞なり」已上。予此の文を見る故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚らず、法然上人並びに所化の衆等の阿鼻大城に堕つべき由を称す。此の道理を聞き解く道俗の中に、少々は廻心の者有り、若し一度高覧を経ん人、上に挙ぐる所の如く之を行ぜずば、大集経の文に「若し国王有って我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、無量世に於て施戒慧を修すとも、悉く皆滅失して其の国の内に三種の不祥を出さん。乃至、命終して大地獄に生ぜん」の記文を免れ難きか。仁王経に云はく「若し王の福尽きん時は○七難必ず起こる」と。此の文に云はく「無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失す」等云云。此の文を見るに且く万事を閣いて先づ此の災難の起こる由を勘ふべきか。若し爾らざれば弥亦重ねて災難之起こらむか。愚勘是くの如し取捨は人の意に任す。
平成新編御書 ―199n―