←前へ 次へ→ 『災難対治抄』
(★197n)
疑って云はく、国土に於て選択集を流布せしむるに依って災難起こると云はゞ、此の書無き已前には国中に於て災難無かりしや。答へて曰く、彼の時亦災難有り。云はく、五常を破り仏法を失ふ者之有る故に。所謂周の宇文・元嵩等是なり。
難じて云はく、今の世の災難は五常を破りしが故に之起こるといはゞ、何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや。答へて曰く、仁王経に云はく「大王、未来世の中に諸の小国の王・四部の弟子○諸の悪比丘○横に法制を作りて仏戒に依らず○亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さざれば○七難必ず起こらん」と。金光明経に云はく「亦供養し尊重し讃歎せざれば○其の国に当に種々の災禍有るべし」と。涅槃経に云はく「無上の大涅槃経を憎悪す」等云云。豈弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するは悉く雑行と名づくるに当たらざらんや。
難じて云はく、仏法已前国に於て災難有り。何ぞ謗法の者の故ならんや。答へて曰く、仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり。礼儀を破るは仏の出だしたまへる五戒を破るなり。
問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く、金光明経に云はく「一切世間の所有善論は皆此の経に因る」と。法華経に云はく「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と。普賢経に云はく「正法をもって国を治め人民を邪枉せず。是を第三の懺悔を修すと名づく」と。涅槃経に云はく「一切世間の外道の経書は皆是仏説なり外道の説に非ず」と。止観に云はく「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」と。弘決に云はく「礼楽前に駈せて真道後に啓らく」と。広釈に云はく「仏三人を遣はして且く真旦を化す。五常を以て五戒の方を開く。昔大宰孔子に問うて云はく、三皇五帝は是聖人なるか。孔子答へて云はく、聖人に非ず。又問ふ、夫子は是聖人なるか。亦答ふ、非なり。又問ふ、若し爾らば誰か是聖人なるや。答へて云はく、吾聞く西方に聖有り、釈迦と号す」文。
平成新編御書 ―197n―