←前へ 次へ→ 『災難興起由来』
(★189n)
我三聖を遣はして彼の真旦を化す。仏漢土に仏法を弘めん為に先に三菩薩を漢土に遣はし、諸人に五常を教へ仏経の初門と為す。此等の文を以て之勘ふるに仏法已前の五常は仏教の内の五戒なることを知る。
疑って云はく、若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法の者の中に此の難に値はざる者之有りや。答へて曰く、業力の不定なり。現世に謗法を作し今世に報ひ有る者あり。即ち法華経に云はく「此の人現世に白癩の病を得ん、乃至、諸の悪重病あるべし」。仁王経に云はく「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し連禍せん」。涅槃経に云はく「若し是の経典を信ぜざる者有あらば○若しは臨終の時荒乱し、刀兵競ひ起こり、帝王の暴虐、怨家の讎隙に侵逼せられん」已上。順現業なり。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。仁王経に云はく「人仏教を壊らば○死して地獄・餓鬼・畜生に入らん」已上。順次生業なり。順後業等之を略す。
疑って云はく、若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者何ぞ此の難に値へるや。答へて曰く、金光明に云はく「枉て辜無きに及ばん」と。法華経に云はく「横に其の殃に羅る」等云云。止観に云はく「以解の位は因の疾少し軽くして道心転熟す、果の疾猶重くして衆災を免れず」と。記に云はく「若し過現の縁浅ければ微苦も亦徴無し」已上。此等の文を以て之を案ずるに、法華真言等を行ずる者も未だ位深からず、縁浅くして口に誦すれども其の義を知らず、一向に名利の為に之を読む。先生の謗法の罪未だ尽きず、外に法華等を行じて内に選択の意を存す。心に存せずと雖も世情に叶はん為に、在俗に向かって法華経は末代に叶ひ難き由を称すれば、此災難を免れ難きか。
問うて曰く、何なる秘術を以て速やかに此の災難を留むべきや。答へて曰く、還って謗法の書並びに所学人を治すべし。若し爾らざれば無尽の祈請有りと雖も但だ費のみ有って験無からんか。
平成新編御書 ―189n―