←前へ 次へ→ 『災難興起由来』
(★188n)
涅槃経に云はく「一切世間の外道の経書も皆是仏説にして外道の説に非ず」と。止観に云はく「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」と。弘決に云はく「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と。広釈に云はく「仏三人を遣はして且く真旦を化し五常以て五戒の方を開く。昔は大宰孔子に問うて云はく、三皇五帝は是聖人なるか。孔子答へて云はく、聖人に非ず。又問ふ、夫子は是聖人なるか。亦答ふ、非なり。又問ふ、若し爾らば誰か是聖人なる。答へて云はく、吾聞く、西方に聖有り、釈迦と号す」と。周書異記に云はく「周の昭王二十四年甲寅の歳四月八日、江河泉池忽然として浮漲し、井水並びに皆溢れ出づ。宮殿人舎、山川大地咸悉く震動す。其夜五色の光気有り、入りて太微を貫き四方に遍ず。昼青紅色と作る。昭王大史蘇由に問うて曰く、是何の怪ぞや。蘇由対へて曰く、大聖人有り、西方に生まる。故に此の瑞を現ず。昭王曰く、天下に於て何如。蘇由曰く、即時には化無し。一千年の外声教此の土に被及せん。昭王即ち人を門に遣はし、石に之を記して埋めて西郊天祠の前に在く。穆王の五十二年壬申の歳二月十五日平旦、暴風忽ちに起こりて人舎を廃損し樹木を傷折し、山川大地皆悉く震動す。午後天陰り雲黒し。西方に白虹十二道あり。南北に通過して連夜滅せず。穆王大史扈多に問ふ。是何の徴ぞや。対へて曰く、西方に聖人有り。滅度の衰相現はるのみ」已上。今之を勘ふるに金光明経に一切世間の所有の善論は皆此の経に因る。仏法未だ漢土に渡らず。先づ黄帝等玄女の五常を習ふ。即ち因全玄女の五常に因って久遠の仏教を習ひ黄帝に国を治めしむ。機未だ熟さざれば五戒を説くとも過去未来を知らず。但現在に国を治め至孝至忠をもって身を立つる計りなり。余の経文以て亦是くの如し。亦周書異記等は仏法未だ真旦に被らざる已前一千余年に人西方に仏有ること之を知る。何に況んや老子は殷の時に生まれ周の列王の時に有り。孔子亦老子の弟子、顔回亦孔子の弟子なり。豈周の第四の昭王、第五の穆王の時、蘇由扈多の記す所の一千年の外、声教此の土に被及するの文を知らざらんや。亦内典を以て之を勘ふるに仏慥かに之を記したまふ。
平成新編御書 ―188n―