←前へ  次へ→    『災難興起由来』
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 0026 災難興起由来   (正元二年二月上旬  三九歳)
 
  答へて曰く、爾なり。謂はく夏の桀・殷の紂・周の幽等の世是なり。
  難じて云はく、彼の時仏法無し。故に亦謗法者無し。何に依るが故に国を亡すや。答へて曰く、黄帝・孔子等治国の作方五常を以す。愚王有りて礼教を破る故に災難出来す。
  難じて云はく、若し爾らば今世の災難五常を破るに依らば何ぞ必ずしも選択流布の失と云ふや。答へて曰く、仏法未だ漢土に渡らず前には黄帝等五常を以て国を治む。其の五常は仏法渡りて後之を見れば即ち五戒なり。老子・孔子等も亦仏遠く未来を鑑み、国土に和し仏法を信ぜしめん為に遣はす所の三聖なり。夏の桀・殷の紂・周の幽等五常を破りて国を亡すは即ち五戒を破るに当たるなり。亦人身を受て国主と成るは必ず五戒十善に依る。外典は浅近の故に過去の修因・未来の得果を論ぜずと雖も五戒十善を持ちて国王と成る。故に人五常を破ること有れば上天変頻りに顕はれ下地妖間に侵す者なり。故に今世の変災も亦国中の上下万人多分に選択集を信ずる故に、弥陀仏より外の他仏他経に於て拝信を致す者に於ては、面を背けて礼儀を致さず、言を吐ひて随喜の心無し。故に国土人民に於て殊に礼儀を破り道俗禁戒を犯す。例へば阮籍を習ふ者は礼儀を亡し、元嵩に随ふ者は仏法を破るが如し。
  問て曰く、何を以て之を知る。仏法未だ漢土に渡らざる已前の五常は仏教の中の五戒たること如何。答へて曰く、金光明経に云はく「一切世間の所有の善論は皆此の経に因る」と。法華経に云はく「若し俗間の経書、治世の語言、資生等を説かんも皆正法に順ぜん」と。普賢経に云はく「正法をもって国を治め人民を邪枉せず、是を第三の懺悔を修すと名づく」と。
 
平成新編御書 ―187n―