←前へ  次へ→    『災難興起由来』
(★190n)
  問うて曰く、如何が対治すべきか。答へて曰く、治方も亦経に之有り。涅槃経に云はく「仏言はく、唯一人を除て余の一切に施せ○正法を誹謗して是の重業を造る○唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余の者に施さば一切讃歎すべし」已上。此の文より外にも亦治方有り。具に戴するに暇あらず。而るに当世の道俗多く謗法の一闡提の人に帰して讃歎供養を加ふるの間、偶謗法の語を学せざる者も還って謗法の者と称して怨敵を作す。諸人此の由を知らず故に正法の者を還って謗法者と謂へり。此れ偏に法華経勧持品に記する所の、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に○好んで我等が過を出し○国王・大臣・波羅門・居士に向って○誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人外道の論議を説くと謂はんの文の如し。仏の讃歎する所の世中の福田を捨てゝ、誡むる所の一闡提に於て讃歎供養を加ふ。故に弥々貪欲の心盛んにして謗法の音天下に満てり。豈災難起こらざらんや。
  問うて曰く、謗法の者に於て供養を留め苦治を加へんに罪有りや不や。答へて曰く、涅槃経に云はく「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付嘱す○正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし○尚罪有ること無し」已上。一切衆生螻蟻蚊虻に至まで必ず小善有れども謗法の人には小善無し。故に施を留めて苦治を加ふるなり。
  問うて曰く、汝僧形を以て比丘の失を顕はす、豈不謗四衆と不謗三宝との二重の戒を破るに非ずや。答へて曰く、涅槃経云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」已上の文を守りて之を記す。若し此の記自然に国土に流布せしめん時、一度高覧を経ん人は必ず此の旨を存ずべきか。若し爾らずんば大集並びに仁王経の若し国王有て我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せざれば○其の国の内に三種の不祥を出さん。乃至、命終して大地獄に生ぜん。若し王の福尽きん時○七難必ず起らん之の責を免れ難きか。
 
平成新編御書 ―190n―