←前へ 次へ→ 『爾前得道有無御書』
(★185n)
今浄土の三部経は、天台の意に依れば前四味の中には方等部なり。具に四教を説く。観経の中蔵を以ては阿含・方等・般若・涅槃の三蔵経を摂尽す。通を以ては方等・般若・涅槃の通之を摂尽す。別を以ては華厳・方等・般若・涅槃の別之を摂尽す。円を以ては華厳・方等・般若・法華・涅槃の円之を摂尽す。一代聖教をば観経に摂尽し、八万法蔵をば阿弥陀の三字に収蔵す。末代の凡夫に南無阿弥陀仏と唱へしむ、豈大善根に非ずや。其の上観無量寿経の心は末代悪世を以て面と為し、未断惑の凡夫に六字の名号を唱へしめ、他力本願に乗じて同居の浄土に往生せしむ。此偏に天台大師の本意竜樹菩薩の所欲なり。三国一同の正義なり。但し二乗作仏と久遠実成計りは観経に之無し。末代の凡夫は二乗作仏に非ず。久遠実成の教主釈尊の事を、我等は之を沙汰して何か為と。
此の外華厳宗・三論宗・法相宗・真言宗・禅宗・浄土宗等は天台の教相を一分も之を用いず。各正に我が宗の元祖を崇重し、曽て自宗の依経を重んずること宛も天台の法華経を信仰するが如し。所謂華厳宗は法華経を以て華厳経の方便と為し、方便の法華経すら尚得道有り、真実の華厳経何ぞ成仏無からんやと。真言宗は顕密の二道を分かてり。法華経は顕教にして釈尊の所説なり。民の万言の如く、空拳を捧げて小児を誑かすが如く、密教は大日如来の所説なり。天子の一言の如し。猶雲霧を払って満月を見るが如し。空拳の方便たる法華すら尚当分の得道之有り、最上秘密の真言教に豈跨節の成仏之無からんや。秘密は三国大同治国の法、諸宗一帰の密宗なりと。法相宗云はく「法華の一乗は方便の教、深密の五意は真実の教なり」等云云。三論宗云はく「般若経は三世の諸仏の智母、一切衆生の慈父なり。後生は且く之を置く。今生を以て之を案ずるに、帝釈・竜王・修羅と戦うの時何れの経をか用ひん。仁王経是なり。普明の死を脱する豈仏力に非ずや。現を以て当を推するに第一の秘法なり。月氏・漢土・日本異なりと雖も、三国一同に最初の本宗なり。何ぞ邪義を以て当分跨節の得道之無しと為んや」と。其の上法華・涅槃の二経を見聞するに爾前の得益之を許すこと之多し。序分に列ぬる所の二界八番の衆、皆爾前得道の人々なり。
平成新編御書 ―185n―