←前へ  次へ→    『十法界事』
(★174n)
 頓に二種の生死の縛を超ゆ。無量義経の中に四十余年の諸経を挙げて、未顕真実と説くと雖も而も猶爾前三乗の益を許す。法華の中に於て正直捨方便と説くと雖も尚見諸菩薩授記作仏と説く。此くの如き等の文爾前の説に於て当分の益を許すに非ずや。但し爾前の諸経に二事を説かず、謂はく、実の円仏無く又久遠実成を説かず。故に等覚の菩薩に至るまで近成を執するの思ひ有り。此の一辺に於て天人と同じく能迷の門を挙げ、生死煩悩一時に断壊することを証せず。故に唯未顕真実と説けり。六界の互具を明かさざるが故に出づべからずとは此の難甚だ不可なり。六界互具せば即ち十界互具すべし。何となれば、権果の心生とは六凡の差別なり。心生を観ずるに何ぞ四聖の高下無からんや。
  第三重の難に云はく、所立の義誠に道理有るに似たり。委しく一代聖教の前後を検するに、法華本門並びに観心の智慧を起こさざれば円仏と成らず。故に実の凡夫にして権果だも得ず。所以に彼の外道五天竺に出でて四顛倒を立つ。如来出世して四顛倒を破せんが為に苦空等を説く。此則ち外道の迷情を破せんが為なり。是の故に外道の我見を破して無我に住するは火を捨てゝ以て水に随ふが如し。堅く無我に執して見思を断じ六道を出ずると謂へり。此迷ひの根本なり。故に色心倶滅の見に住す。大集等の経々に断常の二見と説くは是なり。例せば有漏外道の自らは得道なりと念へども無漏智に望むれば未だ三界を出でざるが如し。仏教に値はずして三界を出ずるといはゞ是の処有ること無し。小乗の二乗も亦復是くの如し。鹿苑施小の時には外道の我を離れて無我の見に住す。此の情を改めずして四十余年、草庵に止宿するの思ひには暫くも離るゝ時無し。又大乗の菩薩に於て心生の十界を談ずと雖も而も心具の十界を論ぜず。又或時は九界の色心を断尽して仏界の一理に進む。是の故に自ら念はく、三惑を断尽して変易の生を離れ寂光に生まるべしと。然るに九界を滅すれば是則ち断見なり。進んで仏界に昇れば即ち常見と為す。九界の色心の常住を滅すと欲ふは豈九法界に迷惑するに非ずや。
 
平成新編御書 ―174n―