←前へ  次へ→    『十法界事』
(★173n)後
 
 0023 十法界事   (正元元年  三八歳)
 
  二乗三界を出でざれば即ち十法界の数量を失ふ云云。
  問ふ、十界互具を知らざる者、六道流転の分段の生死を出離して変易の土に生ずべきや。答ふ、二乗は既に見思を断じ三界の生因無し。底に由ってか界内の土に生ずることを得ん。是の故に二乗は永く六道に生ぜず。故に玄の第二に云はく「夫変易に生ずるに則ち三種有り。三蔵の二乗、通教の三乗、別教の三十心」已上。 此くの如き等の人は皆通惑を断じ、変易の土に生ずることを得て、界内分段の不浄の国土に生ぜず。
  難じて云はく、小乗の教は但是心生の六道を談じて是心具の六界を談ずるに非ず。是の故に二乗は六界を顕はさず、心具を談ぜず、云何ぞ但六界の見思を断じて六道を出ずべきや。故に寿量品に云へる一切世間天人阿修羅とは、爾前迹門両教の二乗三教の菩薩並びに五時の円人を皆天人・修羅と云ふ。豈未断見思の人と云ふに非ずや。答ふ、十界互具とは法華の淵底、此の宗の沖微なり。四十余年の諸経の中には之を秘して伝へず。但し四十余年の諸の経教の中に無数の凡夫見思を断じて無漏の果を得、能く二種の涅槃の無為を証し、塵数の菩薩通別の惑を断じ、
 
平成新編御書 ―173n―