←前へ 次へ→ 『守護国家論』
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法華経の方便品に云はく「仏は自ら大乗に住し給へり。乃至自ら無上道大乗平等の法を証す。若し小乗を以て化すること乃至一人に於てもせば我則ち慳貪に堕せん。此の事は為めて不可なり」と。此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり。亦寿量品に云はく「小法を楽ふ」と。此等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説けるなり。天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず。故に但経文を出だすなり。
第四に且く権経を閣いて実経に就くことを明かさば、問うて云はく、証文如何。答へて曰く、十の証文有り。法華経に云はく「但大乗経典を受持することを楽って乃至余経の一偈をも受けざれ」是一 涅槃経に云はく「了義経に依って不了義経に依らざれ」 四十余年を不了義経と云ふ。是二 法華経に云はく「此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す。諸仏も亦然なり。是くの如きの人は諸仏の歎ずる所なり。是則ち勇猛なり、是則ち精進なり、是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名づく」
末代に於て四十余年の持戒無く唯法華経を持つを持戒と為す。是三 涅槃経に云はく「乗に緩の者に於ては乃ち名づけて緩と為す。戒に緩なる者に於ては名づけて緩と為さず。菩薩摩訶薩此の大乗に於て心懈慢せずんば是を奉戒と名づく。正法を護るが為に大乗の水を以て自ら澡浴す。是の故に菩薩破戒を現ずと雖も名づけて緩と為さず」是の文法華経の戒を流通する文なり。是四 法華経第四に云はく「妙法華経乃至皆是真実なり」此の文は多宝の証明なり。是五 法華経第八普賢菩薩の誓ひに云はく「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」是六 法華経第七に云はく「我が滅度の後、後五百歳の中に閻浮提に於て断絶せしむること無けん」釈迦如来の誓ひなり。是七 法華経第四に多宝並びに十方諸仏来集の意趣を説いて云はく「法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給へり」是八 法華経第七に法華経を行ずる者の住処を説いて云はく「如来の滅後に於て当に一心に受持・読誦・解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に乃至若しは経巻所在の処ならば、若し園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、
平成新編御書 ―124n―