←前へ  次へ→    『守護国家論』
(★125n)
 若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てゝ供養すべし。所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得」是九
  法華経の流通たる涅槃経の第九に云はく「我が涅槃の後正法未だ滅せず、余の八十年の爾の時、是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし。是の時当に諸の悪比丘有って是の経を抄涼し、分かって多分と作し、能く正法の色香味美を滅すべし。是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も、如来深密の要義を滅除して、世間荘厳の文飾無義の語を安置し、前を抄して後に著け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん。当に知るべし、是くの如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり。乃至譬へば牧牛女の多く水を加ふる乳の如し。諸の悪比丘も亦復是くの如し。雑ふるに世語を以てし錯りて是の経を定む。多くの衆生をして正説・正写・正取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ。是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能はず。分流すべき所少くして言ふに足らざること彼の牧牛貧窮の女人展転して乳を売り乃至糜と成すに乳味無きが如し。是大乗経典大涅槃経も亦復是くの如し。展転し薄淡にして気味有ること無し。気味無しと雖も猶余経に勝ること是一千倍なること彼の乳味の諸の苦味に於て千倍勝るゝと為すが如し。何を以ての故に。是の大乗経典大涅槃経は声聞の経に於て最も為れ上首たり」是十
  問うて云はく、不了義経を捨てゝ了義経に就くとは、大円覚修多羅了義経・大仏頂如来密因修証了義経、是くの如き諸大乗経は皆了義経なり。依用と為すべきや。答へて曰く、了義・不了義は所対に随って不同なり。二乗・菩薩等の所説の不了義経に対すれば一代の仏説は皆了義なり。仏説に就いて亦小乗経は不了義、大乗経は了義なり。大乗に就いて又四十余年の諸経は不了義経、法華・涅槃・大日経等は了義経なり。而るに円覚・大仏頂等の諸経は小乗及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経なり。法華経の如き了義には非ざるなり。
 
平成新編御書 ―125n―