←前へ  次へ→    『守護国家論』
(★123n)
 法華経に当説を指して難信難解と云はざるが故なり。
  問うて云はく、涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云ふ、如何。答へて云はく、法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足」「今正是其時」「然善男子、我実成仏已来」等と説く。但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所説経典、無量千万億」なりと挙げ了って「已説・今説・当説」等と説く時、多宝仏、地より涌現して皆是真実と定め、分身の諸仏は舌相を梵天に付けたまふ。是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ。此の外釈迦如来一仏の所説なれば、先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ず。故に涅槃経に諸経を嫌ふ中に法華経を入れず、法華経は諸経に勝るゝ由、之を顕はす故なり。但し邪見の文に至りては、法華経を覚知せざる一類の人、涅槃経を聞いて悟りを得る故に、迦葉童子、自身並びに所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云ふなり。経の勝劣を論ずるには非ず。
  第三に大小乗を定むることを明かさば、問うて云はく、大小乗の差別如何。答へて云はく、常途の説の如くんば阿含部の諸経は小乗なり。華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗なり。或は六界を明かすは小乗、十界を明かすは大乗なり。 
  其の外法華経に対して実義を論ずる時、法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。                      問うて云はく、諸宗に亘って我が拠る所の経を実大乗と謂ひ、余宗の拠る所の経を権大乗経と云ふこと常の習ひなり。末学に於て是非定め難し。未だ法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文を聞知せず、如何。答へて云はく、宗々の立義互ひに是非を論ず。中就末法に於て世間出世に就いて非を先とし是を後とす。自ら是非を知らざるは愚者の歎ずべき所なり。但し且く我等が智を以て四十余年の現文を看るに、此の文を破る文無ければ人の是非を信用すべからざるなり。其の上法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存すべきに非ず。
 
平成新編御書 ―123n―