←前へ 次へ→ 『守護国家論』
(★122n)
涅槃経三十に云はく「如来何が故ぞ二月に涅槃したまふや」と。亦云はく、「如来の初生・出家・成道・転妙法輪皆八日を以てす。何ぞ仏の涅槃独り十五日なるや」と。
大部の経大概是くの如し。此より已外諸の大小乗経は次第不定なり。或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く。皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。
第二に諸経の浅深を明かさば、無量義経に云はく「初めに四諦を説き 阿含、 次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き、菩薩の歴劫修行を宣説す」と。亦云はく「四十余年には未だ真実を顕はさず」と。又云はく「無量義経は尊にして過上無し」と。此等の如くんば四十余年の諸経は無量義経に劣ること疑ひ無き者なり。問うて曰く、密厳経に云はく「一切の経中に勝れたり」と。大雲経に云はく「諸経の転輪聖王なり」と。金光明経に云はく「諸経中の王なり」と。此等の文を見るに諸大乗経の常の習ひなり、何ぞ一文を瞻て無量義経は四十余年の諸経に勝ると云ふや。答へて云はく、教主釈尊若し諸経に於て互ひに勝劣を説かば、大小乗の差別・権実の不同有るべからず。若し実に差別無きに互ひに差別浅深等を説かば諍論の根源、悪業起罪の因縁なり。爾前の諸経の第一とは縁に随って不定なり。或は小乗の諸経に対して第一と、或は報身の寿を説いて諸経の第一と、或は俗諦真諦中諦等を説いて第一なりと。一切の第一に非ず。今の無量義経の如きは四十余年の諸経に対して第一なり。
問うて云はく、法華経と無量義経と何れか勝れたるや。答へて云はく、法華経勝れたり。問うて云はく、何を以て之を知るや。答へて云はく、無量義経には未だ二乗作仏と久遠実成とを明かさず。故に法華経に嫌はれて今説の中に入るなり。
問うて云はく、法華経と涅槃経と何れか勝れたるや。答へて云はく、法華経勝るゝなり。問うて曰く、何を以て之を知るや。答へて曰く、涅槃経に自ら如法華中等と説いて更無所作と云ふ。
平成新編御書 ―122n―