←前へ  次へ→    『守護国家論』
(★120n)
 我今当に一切衆生の為に甘露の門を開くべし」と。亦三十三に華厳経の時を説いて云はく「十二部経修多羅の中の微細の義を我先に已に諸の菩薩の為に説くが如し」と。此くの如き等の文は皆諸仏世に出で給ひて一切経の初めには必ず華厳経を説き給ひし証文なり。問うて云はく、無量義経に云はく「初めに四諦を説き乃至次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」と。此の文の如くんば般若経の後に華厳経を説けり。相違如何。答へて云はく、浅深の次第なるか、或は後分の華厳経なるか。法華経の方便品に一代の次第浅深を列ねて云はく「余乗 華厳経なり 若しは二 般若経なり 若しは三 方等経なり 有ること無し」と、此の意なり。
  問うて云はく、華厳経の次に何れの経を説き給ふや。答へて曰く、阿含経を説き給ふなり。問うて云はく、何を以て之を知るや。答へて云はく、法華経の序品に華厳経の次の経を説いて云はく「若し人苦に遭ひて老病死を厭ふには為に涅槃を説く」と。方便品に云はく「即ち波羅奈に趣き乃至五比丘の為に説く」と。涅槃経に華厳経の次の経を定めて云はく「即ち波羅奈国に於て正法輪を転じて中道を宣説す」と。此等の経文は華厳経より後に阿含経を説くなり。
  問うて云はく、阿含経の後に何れの経を説き給ふや。答へて曰く、方等経なり。問うて云はく、何を以て之を知るや。答へて云はく、無量義経に云はく「初めに四諦を説き乃至次に方等十二部経を説く」と。涅槃経に云はく「修多羅より方等を出だす」と。問うて云はく、方等とは天竺の語、此には大乗と云ふなり。華厳・般若・法華・涅槃等皆大乗方等なり。何ぞ独り方等部に限りて方等の名を立つるや。答へて曰く、実には華厳・般若・法華等皆方等なり。然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず。無量義経・涅槃経の文に顕然たり。阿含の証果は一向小乗なり。次に大乗を説く。方等より已後皆大乗と云ふと雖も、大乗の始めなるが故に初めに従って方等部を方等と云ふなり。例せば十八界の十半は色なりと雖も、初めに従って色境の名を立つるが如し。
 
平成新編御書 ―120n―