←前へ 次へ→ 『守護国家論』
(★118n)
或は殺生悪逆の重業に依り、或は国主と成りて民衆の歎きを知らざるに依り、或は法の邪正を知らざるに依り、或は悪師を信ずるに依る。此の中に於ても世間の善悪は眼前に在れば愚人も之を弁ふべし。仏法の邪正、師の善悪に於ては証果の聖人すら尚之を知らず。況んや末代の凡夫に於てをや。加之仏日西山に隠れ余光東域を照らしてより已来、四依の慧灯は日に減じ三蔵の法流は月に濁る、実経に迷へる論師は真理の月に雲を副へ、権経に執する訳者は実経の珠を砕きて権経の石と成す。何に況んや震旦の人師の宗義其の ・り無からんや。何に況んや日本辺土の末学誤りは多く実は少なき者か。随って其の教を学する人数は竜鱗よりも多けれども得道の者は麟角より希なり。或は権教に依るが故に、或は時機不相応の教に依るが故に、或は凡聖の教を弁へざるが故に、或は権実二教を弁へざるが故に、或は権教を実教と謂ふに依るが故に、或は位の高下を知らざるが故なり。凡夫の習ひ仏法に就いて生死の業を増すこと其の縁一に非ず。中昔邪智の上人有りて末代の遇人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る。名を鸞・綽・導の三師に仮りて一代を二門に分かち、実経を録して権経に入れ、法華真言の直道を閉ぢて浄土三部の隘路を開く。亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し、永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈むべき僻見なり。而るに世人之に順ふこと譬へば大風の小樹の枝を吹くが如く、門弟此の人を重んずること天衆の帝釈を敬ふに似たり。此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り。所謂浄土決義抄・弾選択・摧邪輪等なり。此の書を造る人、皆碩徳の名一天に弥ると雖も、恐らくは未だ選択集謗法の根源を顕はさず、故に還って悪法の流布を増す。譬へば盛んなる旱魃の時に小雨を降らせば草木弥枯れ、兵者を打つ刻みに弱き兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し。予此の事を歎く間、一巻の書を造りて選択集の謗法の縁起を顕はし、名づけて守護国家論と号す。願はくは一切の道俗、一時の世事を止めて永劫の善苗を種ゑよ。今経論を以て邪正を直す、信謗は仏説に任せ敢へて自義を存すること無し。
平成新編御書 ―118n―