←前へ 次へ→ 『総在一念抄』
(★114n)
然れば即ち我等も三千を具するが故に本有の仏体なり。仍って無間地獄の衆生も三千を具し、妙覚の如来と一体にして差別無きなり。是を以て提婆が三逆の炎、忽ちに天王如来の記を蒙る。地獄すら尚爾なり。何に況んや余の九界をや。心智都て滅せる二乗すら尚成仏す、何に況んや余の八界をや。
故に十界の草木等も一々に本有の三千の仏体にして、悪心悪法と云ひて、捨つべき物之無く、善心善法と云ひて取るべき物之無し。故に今の経には此の理を説き顕はすが故に妙法蓮華経とは題するなり。妙法とは十界の草木等に三千を具す、一法として捨つべき物なきが故なり。蓮華とは此の理を悟る人は必ず仏と等しく蓮華の台に処し、蓮華を以て身を荘厳し、蓮華を以て国土をかざる故に云ふなり。知んぬ、此の身即ち三世の諸仏の体なり。若し此の理を得ざる者をば仏種とは名づけず。故に妙楽釈して云はく「若し正境に非ずんば縦ひ妄偽無けれども、亦種と成らず」云云。爰に知んぬ、法華以前の諸経は権法を説き交ゆるが故に、塵劫を経歴して受持すとも仏種となるべからず、仏智を説き顕はさゞるが故なり。仏智を説かざるが故に、悪人女人成仏すとは云はず。故に天台釈して云はく「他経は但菩薩に記して二乗に記せず、但善に記して悪に記せず、但男に記して女に記せず、但人天に記して畜に記せず。今経は皆記すなり」云云。妙楽釈して云はく「縦ひ経有りて諸経の王と云ふとも已今当説最為第一と云はず。兼但対帯其の義知んぬべし」云云。此の釈の如くんば爾前の諸経は方便にして成仏の直因に非ざるなり。
問うて云はく、法華以前の諸経の中に円教と云ひて殊勝の法門を説く、何ぞ強ちに爾前の諸経をば仏の種子と成らずと之れを簡ぶや。答へて云はく、円教を説くといへども、彼の円は仏の種子を失へる声聞・縁覚・悪人・女人を成仏すと説かざるが故に円教の至極にあらず、究竟に非ざるが故に仏意を挙げず、故に又仏智にもあらず、されば成仏の種子に非ざるなり。之に依って諸経をば法華に対して皆簡ぶなり。爰を以て大師の云はく「細人・麁人二倶に過を犯す。
平成新編御書 ―114n―