←前へ  次へ→    『一念三千法門』
(★111n)前
 観念せずと雖も始めに申しつるごとく「所謂諸法如是相如」云云と読む時は、如は空の義なれば我が身の先業にうくる所の相性体力、其の具する所の八十八使の見惑、八十一品の思惑、其れ空にして報身如来なり。「所謂諸法如是相」云云と読めば、是仮の義なれば我が此の身先業に依って受けたる相性体力云云。其の具したる塵沙の惑、悉く即身応身如来なり。「所謂諸法如是」と読む時は、是中道の義に順じて業に依って受くる所の相性等云云。其れに随ひたる無明皆退いて即身法身の如来と心を開く。此の十如是三転によまるゝ事、三身即一・一身即三身の義なり。三に分かるれども一なり一に定まれども三なり。
 
平成新編御書 ―111n―