←前へ  次へ→    『一念三千法門』
(★110n)
 只天台の御料簡に十如是と云ふは十界なり。此の十界は一念より事起こり、十界の衆生は出で来たりけり。此の十如是と云ふは妙法蓮華経にて有りけり。此の娑婆世界は耳根得道の国なり。以前に申す如く「当知身土」云云。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂れを明かすが故に、是を耳に触るゝ一切衆生は功徳を得る衆生なり。一切衆生と申すは草木瓦礫も一切衆生の内なるか 有情非情。 抑草木は何ぞ。金論に云はく「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。法師品の始めに云はく「無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩・羅伽、人と非人と及び比丘・比丘尼、妙法蓮華経の一偈一句を聞き、乃至一念も随喜せん者は我皆阿耨多羅三藐三菩提の記を与へ授く」云云。非人とは総じて人界の外一切有情界とて心あるものなり。況んや人界をや。法華経の行者は如説修行せば、必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし。譬へば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む。法華の行者も上中下根あれども、必ず一生の中に証得す。玄の一に云はく「上中下根皆記を与ふ」云云。観心計りにて成仏せんと思ふ人は一方かけたる人なり。況んや教外別伝の坐禅をや。法師品に云はく「薬王多く人ありて在家出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能はずんば、当に知るべし、是の人は未だ菩薩の道を行ぜず。若し是の経典を聞くことを得ることあらば、乃ち能善菩薩の道を行ずるなり」云云。観心計りにて成仏すべくんば争でか見聞読誦と云はんや。此の経は専ら聞を以て本と為す。凡そ此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又平等大慧とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ。「我即歓喜諸仏亦然」云云。百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ても飲まん事を知らずして死するが如し。如意宝珠と云ふ玉は、五百弟子品の此の経の徳も又此くの如く、観心を並べて読むは申すに及ばず。
 
 
平成新編御書 ―110n―