←前へ  次へ→    『一念三千法門』
(★109n)
 又四教義の一に云はく「但功の唐捐ならざるのみに非ず、亦能く理に契ふの要なるをや」云云。天台大師と申すは薬王菩薩なり。此の大師の説而観而と釈し給ふ。元より天台の所釈に因縁・約教・本迹・観心の四種の御釈あり。四種の重を知らずして一しなを見たる人、一向本迹をむねとし、一向観心を面とす。法華経に法・譬・因縁と云ふ事あり。法説の段に至りて諸仏出世の本懐、一切衆生成仏の直道と定む。我のみならず、一切衆生直至道場の因縁なりと定め給ひしは題目なり。されば天台玄の一に「衆善の小行を会して広大の一乗に帰す」と。広大と申すは残らず引導し給ふを申すなり。仮使釈尊一人本懐と宣べ給ふとも、等覚以下は仰いで此の経を信ずべし。況んや諸仏出世の本懐なり。禅宗は観心を本懐と仰ぐとあれども其れは四種の一面なり。一念三千・一心三観等の観心計り法華経の肝心なるべくば題目に十如是を置くべき処に、題目に妙法蓮華経と置かれたる上は子細に及ばず。又当世の禅宗は教外別伝と云ひ給ふかと思へば、又捨てられたる円覚経等の文を引かるゝ上は、実経の文に於て御綺ひに及ぶべからず候。智者は読誦に観念をも並ぶべし。愚者は題目計りを唱ふとも此の理に会ふべし。此の妙法蓮華経とは我等が心性、総じては一切衆生の心性八葉の白蓮華の名なり、是を教へ給ふ仏の御詞なり。無始より以来、我が心中の心性に迷ひて生死を流転せし身、今此の経に値ひ奉りて、三身即一の本覚の如来を唱ふるに顕はれて、現世に其の内証成仏するを即身成仏と申す。死すれば光を放つ、是外用の成仏と申す。来世得作仏とは是なり。略挙経題玄収一部とて一遍は一部云云。妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇刧の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す。妙楽大師の云はく「若しは取若しは捨耳に経て縁と成る、或は順或は違終に斯れに因って脱す」云云。日蓮云はく、若しは取若しは捨或は順或は違の文肝に銘ずる詞なり。法華経に「若有聞法者」等と説かれたるは是か。既に聞く者と説かれたり、観念計りにて成仏すべくば若有観法者と説かるべし。
 
 
平成新編御書 ―109n―