←前へ  次へ→    『三種教相事』
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 民に二主無く国に二王無し。爾れより已前は、或は帰し帰せず。帰せざれば仍是小王輔せられて已むを獲ずして之を統ぶ。小王は本より長に背くこと無けれども、良とに民心未だ帰せざるに由る。民若し帰従すれば王は本より一統なり。此を以て法に会するに義比知すべし」と。弘の五 上七 に云はく「大経に云ふが如く、衆流海に入って本の名字を失ひ、万流咸く会して体増損無し」と。文句の十 三十三 に云はく「此の経の所説は実相を以て真に入る、声聞の法を決了するに是諸経の王なり。実相もて俗に入る、一切の治生産業相違背せず。実相もて中に入る、諸法仏法に非ざること無し」と。止の三 七十一 に云はく「未だ会せられざる時は尚円を知らず、何に況んや円に入らんや。仏若し宗を会して漸を開し頓を顕はせば、悉く皆通じて入る。即頓に非ずと雖も、而も是漸頓なり。故に法華に云はく汝等の所行は是菩薩の道なり。各宝車に乗りて子の本願に適ふ。声聞の法を決了するに、是諸経の王なり。漸法を開通して悉く入ることを得せしむ文。「仏世尚四十余年を経て真実を顕はさず」文。玄の一 二十二 に云はく「万流帰するが故に、同一鹹なるが故に、法華も亦爾なり」十喩の釈なり。玄の三 十四 に云はく「百川の海に会して其の味はひ別ならざるが如し」通教の釈なり、分の開会なり。 又云はく「釈論に云はく、諸水海に入って同一鹹味なり。諸智如実智に入って本の名字を失ふ。故に衆水を総て倶に一鹹となる」と。籖の一 末十八 に云はく「海に徳と言ふは徳は得なり、衆水を得るが故に。万善は万流に合し、仏乗は一鹹に合す」と。止観の三 三十 に云はく「諸法の中に於て皆実相を見る、衆流の海に入りて本の名字を失ふが如し」と。守護章 下の上二十二 に云はく「実経の文を会して権の義に順ぜしむるは、県の額を州に打ち牛迹に大海を入るゝが如し」と。法華論に十七名を列ぬ 天親菩薩の論。「一に無量義経、二に最勝修多羅、三に大方広経、四に教菩薩法、五に仏所護念、六に一切諸仏秘密法、七に一切諸仏秘蔵、八に一切諸仏秘密処、九に能生一切諸仏経、十に一切諸仏道場、十一に一切諸仏所転法輪、十二に一切諸仏堅固舎利、十三に一切諸仏大巧方便経、十四に説一乗、十五に第一義住、十六に妙法蓮華経、十七に最勝法門なり」と。
 
 
平成新編御書 ―79n―