←前へ 次へ→ 『三種教相事』
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秀句上中下。伝教の疏なり。弘仁十二年此の十勝を造り嵯峨天皇に奏す。
一に仏説已顕真実勝
二に仏説経名示義勝
三に無問自説果分勝
四に五仏道同帰一勝
五に仏説諸経校量勝
六に仏説十喩校量勝
七に即身六根互用勝
八に即身成仏化導勝
九に多宝分身付嘱勝
十に普賢菩薩勧発勝
記の六 三十五六 に云はく「諸経多名経王等とは、重ねて教に約して釈す。諸経に法身の義を明かすこと有る者を即ち経王と名づけ、智法に契ひて相称ふを等と名づく。故に機の中に法に対し智に対するに約して王々等と名づく。即ち諸部の大乗と小と相対するに、世人了せずして諸大乗に皆経王と称するを見て、乃ち法華と諸経と等しと謂へり。今謂はく、乳及び二蘇に皆法報を談ず。倶に王と称すと雖も諸経の王には非ず。縦ひ経有りて諸経の王と云ふとも、已今当説最為第一と云はず。兼但対帯其の義知んぬべし」と。又 六十四 云はく「諸部を諸王と為す。興廃と言ふは委しく興廃を論ずること具に玄文の第五巻に明かすが如し。今略論して部に対して説かんと欲せば、則ち華厳には二は興、二は廃、乃至法華には一は興、三は廃なり。今は乃ち諸の小王を廃して唯一主を立つ。是の故に法華を王中の王と名づく。次に又此の経の下は、此の経の教を会するに約す。今の経の中には部に余経無きを以て、部は即ち部中の尊極なるを王と為す。教は即ち部内の教の主なるを王と為す。既に経に大小を分かつ、王も亦尊卑あり。国界に寛狭あり、民に多少有り、資産各異にして所出不同なり。故に部内の教に通別の二轍あり。別は則ち当界に恩を施す、通は乃ち須く大国に帰すべし。故に知んぬ、部・教倶に須く会通すべし。故に前には部と云ひ、後には乃ち教と云ふ。昔に在っては未だ会せず。一国の内の二・三の小王の各蒼品を理めて未だ大国に帰せざるが如し。故に方便の教主に王の名無きにあらず。但し兼部の中の円極の主弱し。若し会せられ已はって後は、同じく一化に沾ふ。
平成新編御書 ―78n―