←前へ  次へ→    『三種教相事』
(★76n)
 「又云はく、衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是くの如し。千万億種の諸の経法の中に於て、最も為れ照明なり 以上経文。天台法華玄に云はく、月は能く虧盈あるが故に、月は漸く円なるが故に。法華も亦爾なり。同体の権実なるが故に、漸を会して頓に入るが故に。灯炬星月は能く闇と共に住す。諸経の二乗の道果を存して小と並立するに譬ふ 以上玄文。 当に知るべし、兼但対帯の随他意の経は未だ最照有らず。他宗所依の経は但照明の徳のみ有りて最明の徳あること無し。天台法華宗は最照明の徳有りて無余果の已死の人照らせり。仏種を滅せずして成仏せしむる故に 第三の譬へ竟はる 又云はく、又日天子の能く諸の闇を除くが如く、此の経も亦復是くの如し。能く一切不善の闇を破す 以上経文。 当に知るべし、他宗所依の経は闇を破すの義未だ円満せず。故に日高山を照らして未だ幽谷を照らさず。幽谷を照らすと雖も、未だ平地を照らさず。天台法華宗は已に平地を照らし、山谷倶に照らす。故に能く不善の闇を破る。深く以有るなり 第四の譬へ竟はる 」と。又 十三 云はく「当に知るべし、他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず。其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず。天台法華宗の所持の法華経は最も為れ第一なるが故に。能く法華を持つ者も亦衆生の中に第一なり。已に仏説に依る。豈自歎ならんや 第八の譬へ竟はる 」と。籖の一 末十五 に云はく「若し尽くして経を消せば、応に土等の四山を以て四味の如く、須弥は十山の内に在りて而も最も高きは、仏界の十界の中に在りて而も最勝なるが如くなるべし」と。秀句 下二十四 に云はく「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり」と。又 十 云はく「経を尋ねて宗を定めよ」と。又 四 云はく「法華を訳する三蔵」と。又云はく「法に依って人に依らざれ義に依って語に依らざれ」文。
 
              一双 二乗に近記を与へ、
                 如来の遠本を開く。
              二双 随喜は第五十の人を歎じ、
                 聞益は一生補処に至る。
              三双 釈迦は三逆の調達を指して本師と為し、
                 文珠は八歳の竜女を以て所化と為す。
 
平成新編御書 ―76n―