←前へ 次へ→ 『三種教相事』
(★75n)
円かなること月の如く、照らすこと日の如く、自在なること梵王の如く、極なること仏の如し。海は是坎の徳なり。万流帰するが故に、同一鹹なるが故に。法華も亦爾なり。仏の証得したまふ所なり。万善同じく帰し、同じく仏乗に乗ず。江河川流は此の大徳無し。余経も亦爾なり。故に法華最大なり。山王は最も高し。四宝の所成なるが故に、純ら諸天のみ居するが故に。法華も亦爾なり。四味の教の頂に在って、四誹謗を離れ開示悟入す。純ら一根一縁同一の道味なれば、純ら是菩薩にして、声聞の弟子無きが故に。月は能く虧盈あるが故に、月は漸く円かなるが故に。法華も亦爾なり。同体の権実なるが故に、漸を会して頓に入るが故に。灯炬星月は闇と共に住す。諸経の二乗の道果を存して小と並立するに譬ふるが故に。日は能く闇を破する故に。法華は化城を破し草庵を除くが故に。又日は星月を映奪して現ぜざらしむるが故に、法華は迹を払ひ方便を除くが故に」と。籖 一末十七 に云はく「薬王を引く中に二と為す。初めには正しく引証し、次に引諸の下は四を以て教に例す。初めの文に二、先づは引き、次に釈す。初めに又二、先づは総じて数を挙げて去取し、次には列。初めの文をいはゞ、薬王品に、仏宿王華の為に十喩を説きたまふ。今但六を引くことは、余の四を六に望むるに猶分喩を成ず。是の故に四を合して此の六の中に在り。次に月の譬を云はゞ、実は盈つるが如く、権は虧くるが如く、同体の権実は、月輪の欠くること無きが如く、漸を会して頓に入るは、明相漸く円かなるが如し。故に知んぬ、前の教相の中に是漸頓と云ふは、月の譬へと意同じ。経の中に星を以て月天子に比して天子を挙ぐると雖も、経に合して既に此の法華経最も為れ照明と云ふ。故に今但円を取り、亦兼ねて明を以て譬へと為す。次に日の譬への中に復灯炬星月を加ふ。今日の譬への中に合する中に、但化城を破す故と云ふは、但日の明能く諸明を映ずるを取るが故のみ。若し更に合せば亦灯等の四を以て、二乗及び通別の菩薩に譬ふべし。並びに無明と共に住するが故なり。故に次に重ねて引く中には略して星月を挙げて方便を除くといへり。故に知んぬ、方便の所收復広し」と。秀句 下十一 に云はく
平成新編御書 ―75n―