←前へ  次へ→    『三種教相事』
(★73n)
 「爾時仏復告より下は、第二に所持の法、及び弘教の方法を歎ず。所持の法は是自軌の法なり。弘教の法は是軌他の法なり。法妙なるが故に人貴く、人貴きが故に処尊く、処尊きが故に因円なり、因円なるが故に果極なり。経に難解難入と云ふ」と。記の六 三十六 に云はく「縦ひ経有りて諸経の王と云ふとも已今当説最為第一と云はず。兼但対帯其の義知んぬべし」文。
 
  一に法妙 麁 法妙なる故、爾時仏復告より況滅度後に至る。
  二に人貴 賎 人貴き故、薬王当知より手摩其頭に至る。
  三に処尊 卑 処尊き故、薬王在処より三菩提に至る。
  四に因円   因円なる故、薬王多有人より菩薩之道に至る。
  五に果満   果満なり、薬王其有衆生より三菩提に至る。
  文句の四 十一 に云はく「二乗作仏は今の経より始まれり」と。記の四に云はく「円乗の外名づけて外道と為す」と。
  立世阿毘曇論に云はく「閻浮提より梵天に至るの量は、譬へば九月十五日、若し人一人有り、彼の梵天に在って百丈の石を放って下界に墜ち向かひ、中間に碍ること無ければ、後の歳九月十五日に至りて閻浮提に当たるが如し」文。宝積経に云はく「若し四十里の磐石を以て色究竟天より下すに、一万八千三百八十三年を経て、此の地に至ることを致す」文。文句の十 二十一 に云はく「福徳の人は舌、鼻に至る。三蔵の仏は髪際に至る。今梵天に至るは凡聖の外に出過し、浄天の頂を極む。相既に常に殊なり、説弥信ずべし」文。以て円経の殊勝を顕はす者なり。経に云はく「是諸の如来の第一の説、諸経の中に於て最も其の上に在り」と。薬王品には、今経の一代に勝ることを十喩を挙げて称歎し、天台は六喩を以て釈し、妙楽は十双を以て釈し、伝教は十勝を以て釈す。
 
平成新編御書 ―73n―