←前へ 次へ→ 『三種教相事』
(★70n)
本門 本因を以て元始となす
大意 迹門 大通を以て元始となす
今日 初成を以て元始となす
頓教 他宗の義法界性論に破する所
判教 漸教 初後の仏慧円頓の義斉し
不定
三方便とは、文句の三 五十八 に云はく「方とは法なり、便とは用なり。法に方円有り、用に差会有り。三権は是矩是方、一実は是規是円。若し智、矩に詣るときは則ち善く偏の法を用ひて衆生に逗会す。若し智、規に詣るときは則ち善く円の法を用ひて衆生に逗会す」 文。 方便品を釈するに三の方便有り。文句の三・四に釈せり。法用方便 随他意の方便、体外の方便、他経 能通方便 随他意の方便、体外の方便、他経。 秘妙方便 随自の方便、法華の方便。 亦体内の方便と云ふ。籖の十 五紙 に云はく「諸部の中に権有り実有りと雖も、而も並びに権実本迹、物に被るの意を明かさず、故に大綱に非ず。故に法華を説くには唯大綱を存して網目を事とせず。」と。又 六紙 云はく「始め華厳より般若に至る来は、皆設教の意を説かずと云ふ。唯法華に至って前教の意を説き、今教の意を顕はす」と。玄の十 三紙 に云はく「当に知るべし、此の経は唯如来設教の大綱を論じて網目を委細にせず」と。止の五 六十二 に云はく「一目の羅は鳥を得ること能はず。鳥を得ることは羅の一目なるのみ。衆生の心行各々不同なり。或は多人に同一の心行あり。或は一人に多種の心行あり。一人の為にするが如く、衆多にも亦然なり。多人の為にするが如く、一人も亦然なり。須く広く法網の目を施して心行の鳥を捕ふべきのみ」と。弘の五 中八十一 に云はく「一目の下は譬へを挙ぐるなり。多人或は一人の初後に逗せんが為の故に、須く広く設くべし。若し随って其の入ることを得ば則ち多を須ひず。故に鳥を得る羅の一目と云ふ。
平成新編御書 ―70n―