←前へ 次へ→ 『三種教相事』
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賢に在るは熟の如く聖に入るは脱の如し」文。弘の二 末九十八 に云はく「運像末に居して此の真文を矚る。宿妙因を植ゑたるに非ざるよりは誠に遇ひ難しと為す」と。記の七 八十一 に云はく「故に知んぬ、末代に一時も聞くことを得ず。聞いて而して信を生ずる事須く宿種なるべし」と。玄の二 五十七 に云はく「此の経には仏種は縁に従ひて起こる。是の故に一乗を説く。亦最実事と名づく。豈妙に非ずや。前の三は是権なり、故に麁と為す、後の一は是実なり、故に妙と為す」と。記の九 末九 に云はく「末代未だ曽て発心せざるも亦聞く、況んや発心をや。問ふ、末代には咸く聞く、仏世には安んぞ簡ばん。答ふ、仏世は当機の故に簡ぶ。末代は結縁の故に聞く」と。記の一 本三十七 に云はく「一時一説一念の中に三世九世種熟脱の三あり」と。籤の一に云はく「垂迹より已来化を受くる者漸く広し。久近の益を得るは功法華に在り」文。弘の七末 六十七 に云はく「過去に種を下せるは、現在に重ねて聞いて成熟の益を得。未だ曽て種を下さず、現在に種を成じて未来に方に益す。故に三世の益皆法輪に因る」と。弘の五 上三 に云はく「借使未だ悟らざるも妙因と為るべし」と。大論 九十三の十九 に云はく「一切の菩薩乃至初発心皆必定す。法華経の中に説くが如し」文。玄の一 八紙 に云はく「随他意の語にして仏の本懐に非ず、故に不務速説と言ふなり。今経は正直に不融を捨て但融を説き、一座席をして同一道味ならしむ。乃ち如来出世の本懐を暢ぶ。故に此の経を建立して、之を名づけて妙と為す」と。籤の一 本二十九 に云はく「法華より已前をば皆随他と曰ふ。故に前教の中に並びに融有りと雖も、兼帯を以ての故に並びに随他に属す。未だ開顕に堪へず不務速と名づく。務は事の速やかなるなり。唯今経に至って、諸の不融を開して唯独一の融なり。前の諸部をして同一の妙法ならしむ。出世の意足りぬ」文。秀句の下 十一 に云はく「当に知るべし、兼但対帯の随他意の経は未だ最照有らず」文。玄の六 六十 に云はく「本此の仏に従ひて初めて道心を発し、亦此の仏に従ひて不退地に住す」文。記の九 本五 に云はく「初めて此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩に於て成就す」文。
平成新編御書 ―65n―