←前へ  次へ→    『三種教相事』
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 籤の一 本十八 に云はく「理絶等とは、既に開顕し已はれば偏円の名を絶す。華厳・方等・般若の偏円、対し明かすに形はさんと為す。往法華の絶待の縁を結び今円珠に寄せて絶理を談ず」文。又云はく「法譬二周の得益の徒は往日結縁の輩に非ざるは莫し」文。
 
  第三師弟の遠近不遠近の相 五百塵点久遠を以て元始と為す。 種熟脱を論ず 番々の成道なり。
  籤の一 末十二に云はく「近く迹門を以て尚昔と為すことを得。況んや伽耶已前をや」文。玄の二 三十九 に云はく「迹中の大教既に起これば本地の大教興ることを得ず」文。玄の七 十三 に云はく「迹の因に執して本の因と為すは天月を識らずして但池月を観るが如し」文。玄の一 十九 に云はく「又衆経には咸く道樹にして師の実智始めて満じ、道樹を起ちて始めて権智を施すと云へり。今の経には師の権実道樹の前に在りて久々に已に満ぜりと明かす。諸経には二乗の弟子実智に入ることを得ず、亦権智を施すこと能はずと明かす。今の経には弟子実に入ること甚だ久しく、亦先より解して権を行ぜしことを明かす。又衆経には尚道樹の前の師と弟子との近々の権実を論ぜず。況んや復遠々をや。今の経には道樹の前の権実長遠なることを明かす。補処世界を数ふるに知らず。況んや其の塵数をや。経に云はく「昔未だ曽て説かざる所を今皆当に聞くことを得べしと、慇懃に称歎すること良に所以有るなり。当に知るべし、此の経は諸経に異なるなり」と。籤の一 末十一 に云はく「次に今経の下は今経の一体の権実久々に已に満ずることを明かす。迹の中の三千界の墨点尚已に久と為す。況んや今の本の中の五百億塵界をや。故に久々と云ふ。又一節已に久し。況んや節々相望するをや。故に久々と云ふ」と。又云はく「道樹の前の一節両節を説かず。故に近々と云ふ。爾前の一節両節を今に望むるに尚近し。況んや中間の遠が中の近無きをや。故に近々と云ふ。次に今経を況出す。遠々と言ふは只是久々なり」と。籤の二 三十四 に云はく「聞法を種と為し発心を芽と為し、
 
平成新編御書 ―64n―